魔裟斗
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基本情報 | |
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本名 | 小林雅人(こばやし まさと) |
あだ名 | 「反逆のカリスマ」、シルバーウルフ |
階級 | ミドル級(K-1) |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1979年3月10日 |
出身地 | 日本国千葉県柏市 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | キックボクシング |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | 46 |
勝ち | 40 |
KO勝ち | 20 |
敗け | 4 |
引き分け | 2 |
無効試合 |
魔裟斗(まさと、1979年3月10日 - )はK-1選手(ミドル級)である。身長174cm、体重70.0kg。血液型はO型。日本人初のK-1MAX世界王者。シルバーウルフ所属。本名小林雅人。キックボクサーでありながら、ボクシングセンスにも定評がある。千葉県柏市出身。両親の都合で柏市から埼玉県新座市へ引っ越す。
目次 |
[編集] ファイトスタイル
- 10代の頃にボクシングジムに通っていた魔裟斗は、元々はパンチを武器とする典型的なインファイターであった。しかし、近年では、左右両方のパンチのコンビネーション・キック・ひざ蹴りなどの打撃を放つスタイルへと変わった。ディフェンステクニックで相手が放つ大振りなパンチをかわし、カウンターを合わせる。最も得意とするブローは相手の右を左でブロックし、即左フックを返すというものである。
- K-1 MAXの主役級の扱いを受けている魔裟斗は海外の選手から研究され狙われる立場であり、2004年ごろから判定決着が極度に増えてきている。(2004年は5戦5判定KO勝ちなし、2005年は3戦2判定1KO勝ち、2004~2006年(7月現在)を合算すると、12戦10判定2KO勝ち。
[編集] 来歴
- 2000年11月1日 ムラッド・サリ(王者、フランス)と対戦し2R0:48KO勝ちし、I.S.K.A.世界オリエンタルウェルター級王座獲得。
- 2003年 アルバート・クラウス(前年度王者、オランダ)を決勝戦で下し、「K-1 WORLD MAX 2003 世界一決定トーナメント」優勝。
- 2004年7月7日 「K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメント」で決勝まで勝ち進むものの、決勝戦でブアカーオ・ポー.プラムックに敗れ連覇を逃し、準優勝。
- 2004年12月31日 山本“KID”徳郁とK-1ルールで対戦。激闘を繰り広げ瞬間最高視聴率31・6%を記録した。
- 2005年7月20日 「K-1 WORLD MAX 2005 世界一決定トーナメント」1回戦でマイク・ザンビディスと対戦し、ダウンを奪い判定勝ちしたものの、足を骨折し無念の棄権となった。(この大会ではこの後準決勝で対戦するはずだったアンディ・サワーが優勝した。)
- 2006年6月30日 「K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント」1回戦で小比類巻貴之に判定勝ち。2回戦でアンディ・サワーに判定で敗れベスト4。
[編集] 魔裟斗発言集
努力している自分を隠す為か、インタビューでは「楽勝」「100%勝てる」「KOで倒す」「俺は強い」「相手の実力は大した事はない」など自信溢れる発言が目立つ。
具体的には、
- 「ラスベガスで試合がしたい。そこで顔を売ってハリウッドスターになりたいな、と」
- 「ボクシング時代は米倉会長にチャンピオンと呼ばれてましたよ」
- 「ホプキンスと闘いたい。いまのおれならボクシングルールでも勝てる」
- 「へビー級もKO少ないし、既におれの戦いはヘビーを越えた」
- 「KOを実行できない奴に発言権はない」
- 「PRIDEも盛り上がってるけど、格闘技で一番面白いのはMAX。そしておれの試合」
- 「多分相手びっくりするんじゃないかなぁ・・・この俺とのレベルの違いに・・・うん」
- 「喧嘩で人の倒し方を覚えた」
など他多数。
このような自信過剰、人を見下す言動が多いが、本人の弁によると初期の頃、TBSに要請されていったおり、真に受けて批判されてショックを受けた時期があった。小比類巻貴之を下した際の風貌が、正統派かつ努力系のイメージ漂う小比類巻とは正反対であり、ヒールのレッテルを貼られた為。
[編集] 戦績
- プロキックボクシング: 46戦 40勝 20KO 4敗 2分
- K-1: 49戦 42勝 21KO 5敗 1分
[編集] 獲得タイトル
- 全日本キックボクシング連盟ウェルター級王座
- I.S.K.A.オリエンタル世界ウェルター級王座
- K-1 WORLD MAX 2002 日本代表決定トーナメント優勝
- K-1 WORLD MAX 2002 世界一決定トーナメント第3位
- K-1 WORLD MAX 2003 日本代表決定トーナメント優勝
- K-1 WORLD MAX 2003 世界一決定トーナメント優勝
- K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメント準優勝
- K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメントベスト4
[編集] 備考
- テレビ朝日系『愛のエプロン』で、料理を披露した(味は薄かったらしい)。
- 細木数子から好かれている。
- 『ねるとん紅鯨団』に出演。ちなみに来栖あつことカップルが成立した。
- 現在のようなキャラになったのは、所属事務所社長のHARUに影響されたため。
- 「ミスターストイック」小比類巻貴之に「六本木で飲んでいる時バッタリ出会った」ことをメディアで暴露している。
- 小比類巻とはキック時代に対戦している。3回戦の前座扱いであったが、メイン、セミの試合のキャンセルが相次ぎ、繰上げでその日の興行のメインイベントになってしまった。結果は小比類巻が得意の膝蹴りで、キャリアの浅い小林雅人(本名名義)にKO勝ちしている。
- この繰上げメインの試合を、雑誌「格闘技通信」(ベースボール・マガジン社)は急遽見開き2ページ、オールカラーで掲載した。繰上げの影響もあるが、この2人に何かを見出したのかもしれない。結果的にそれは正解になった。
- この敗戦はお互いがK-1参戦後もしつこく扱われたが、K-1では魔裟斗が小比類巻にきっちりと判定勝ちしている。
- 地元では5対1で喧嘩に勝った等の伝説が残っているが、真実かどうかは定かでない。
- かつては「反逆のカリスマ」なるギミックを与えられていたが、本人は好きではない。
- 大言を用いる事が多いが、周囲は揃って練習熱心であることを語る。
- 敗戦後失踪すると言う噂が有るが、勝敗に関係無く試合後は箱根へ温泉に入りに行く事を公言しており、失踪では無い。しかし、敗戦後は翌日の会見に姿を見せない事が多い為、失踪を心配するファンも多い。失踪を心配させる理由は、上記の通り会見のキャンセルと、インターネット等のメディアが「魔裟斗とジム関係者連絡を絶つ」と書き立てる為である。
- 母親の名前は雅子である。
[編集] 出演作品
現在GyaOで『K-1ファイタ- 魔裟斗のKING SPIRITS』というトーク番組(毎週水曜日更新)を持ち、視聴者から送られてくる悩みや質問に魔裟斗が答えたりしている。 ちなみにその番組内で魔裟斗は、相方の岡田真善や視聴者から「キング」と呼ばれている。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本のキックボクサー | 1979年生 | 千葉県出身の人物