高等学校必履修科目未履修問題
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高等学校必履修科目未履修問題(こうとうがっこうひつりしゅうかもくみりしゅうもんだい)とは、大学受験における進学実績を向上させることを重視した高等学校が、学習指導要領では必履修科目だが大学受験には関係ない科目を生徒に履修させなかったため、その結果単位不足となって卒業が危ぶまれる生徒が多数いることが判明した問題である。
2006年10月24日に富山県の県立高校で最初に明らかになり[1]、それをきっかけに全国の高校で次々とこの問題が発覚した。1994年から世界史を含む2科目が必履修科目となった地理歴史科や、2003年に新設された情報科、その他にも理科総合、家庭科、芸術、保健等で履修不足が判明した。また、教育委員会に提出した授業計画と明らかに違う教育課程(いわゆる裏カリキュラム)を採用する学校や、教科の名前と中身が違う学校もあった。
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[編集] 詳細
熊本県を除く46都道府県で、計600校以上、8万人を超える生徒が単位不足に直面した。[2]。公立高校の約8%、私立高校の約20%で単位不足が発覚した。国立高校の単位不足はなかった。多くの学校は、「補習を受けさせる」ことで卒業を可能にすると発表したが、受験を目前に控えた状況で受験に関係無い科目の補習を長時間にわたって受けなければならないこの措置には、生徒側から怒りの声が上がった。そのため、事実を隠蔽したり、無理な弁解をしたりする学校も現れた[要出典]。
不足分の単位を取得するためには、本来1単位につき35単位時間の補習が必要であるが、中には4科目10単位も履修していない生徒もいたため[3](350単位時間の補習が必要)、卒業できない生徒が出る虞もあった。そのため全国高校PTA連合会は10月27日文部科学省に救済処置をとるよう要望書を提出した[4]。問題発覚当初、伊吹文明文部科学大臣は救済に慎重な姿勢を示していたが、与党の救済を求める声や安倍晋三首相の指示を受け、救済措置を取ると方針転換した[5][6]。
2006年11月2日、文部科学省が救済措置を発表、各学校に通知した[7]。最終年次に在学する生徒については、履修漏れが2単位(70単位時間)以下の場合は、不足授業数の3分の2の補習とレポート等の提出を以って履修したものとし、履修漏れが2単位を超える場合は、70単位時間を未履修科目をその科目の特性等に応じて割り振り、残りの不足分は免除し、レポート等の提出を以って履修したものとすることとした。既卒者については不問とした。
なおこのような事例は既に、1999年から熊本県、広島県、兵庫県で発覚していた。
また、必履修科目の未履修についての責任論から、自らの責任を感じた学校長が自殺するという事件も発生した[8]。
ちなみに、大学に提出する調査書に履修していない科目を履修したと偽って書く行為は虚偽公文書作成罪にあたると指摘する声もあり、過去に内申書偽造で教師が逮捕された例もある[9]。
[編集] 主な事例
- 必修科目を履修させなかった(例:世界史を履修させなかった。[10])
- その科目の履修に必要な単位が不足していた。(例:二単位必要な世界史Aの授業を一単位しか行わなかった[11])
- 選択科目の履修が不足していた。(例:政経と倫理か現代社会を受ける必要があるのに政経しか受けなかった、または政経を受けなかった[12])
- 時間割に書かれている科目とまったく違う内容を行っていた。(例:必修の情報の時間を数学など受験科目に当てていた[13])
- 中高一貫校において、高校で履修すべき内容を中学校の科目で履修したとみなしていた。(例:中学校の世界史を高校の世界史の単位と認定したが認められなかった[14])
- ある教科を教える免許を取得していない教諭がその教科を教え、単位として認めていた。(例:必修の家庭科の授業を物理や化学の教諭が教えていた。[15])
- 課外授業を単位に加算していた。(例:7日間のオーストラリアへの修学旅行とそのレポートをもって世界史を履修したことにしていた[16])
[編集] 背景
1978年(昭和53年)告示1982年(昭和57年)度以降入学生実施の学習指導要領[1]から新しい必履修科目として現代社会が加わった。しかしこのまったく新しい科目を受験科目とすることに高等学校の現場では不安が広がった。また私立大学においても現代社会ではなく同等の政治経済・倫理を受験科目として残した学校もあったために、主に進学校においては現代社会の教科書を買わせるが、実際の授業は別の科目が行なわれることが多かった(ただしその中には文部省(当時)の研究指定校として学習指導要領に拘束されないカリキュラムを組むことができた学校も存在し、1982年度以降1993年度までに入学した高校生で現代社会を受けていない生徒すべてが未履修となるわけではない)。
1994年(平成6年)度以降入学生実施の学習指導要領において全国的に高等学校における社会科は地理歴史科(以下地歴科)と公民科に再編された結果、必履修科目は地歴科で世界史が必履修、他に1科目必履修、公民科で現代社会を履修するか倫理、政治経済を履修となった(詳細は学習指導要領#学習指導要領の変遷#1992年~を参照)。同時に新学力観にあわせた新カリキュラム(以下新カリ)と呼ばれる、生徒の興味関心に合わせ選択科目を充実させることを目的としたカリキュラムが編成されたが、学校5日制実施までは週32時間配当であったカリキュラムが、実施後は週29時間となり3時間削減が必要となったにも関わらず、地歴・公民科、理科、家庭科などで必履修科目が増え著しくカリキュラムは窮屈になった。この改定においては、学校裁量時間という、学習指導要領によらない科目の設置も認められたため、特色ある学校づくりを行なう学校ではまったく新しい科目の新設も可能となった。そのため進学校以外ではこの改定から導入されたA(2単位)、B(4単位)という区分けされた地歴科目のうちAを進んでカリキュラムに導入することが多くなった(あるいはBを3単位に減単して行なう)。しかし私立大学の入試科目においては2単位のAでは受験科目対象とならない(センター試験でも、国公立大学理系学部でA科目は受験に使えないところも多い。)ために、進学校では4単位であるBを選択せざるを得ないこととなった。(注1)しかしこうした新カリにそぐわない保守的なカリキュラムは教育委員会から「学習指導要領の精神を理解していない」として指導の対象になるケースがあり、なかば強引にでもカリキュラムに必履修同士の選択を導入せざるをえない学校も存在した。
また2002年(平成14年)度実施の学習指導要領(高等学校では2003年(平成15年)度以降入学生対象)から完全施行となった、総合的な学習の時間の導入、情報の必履修化によって週の授業時間は最低28時間とますます必修科目に配当する時間が削減され夏季休業日の削減や0時間目、7時間目の導入によって学力保証を行なっていた背景から、必履修科目の解釈を読み換える「必履修逃れ」が慢性化した。
※(注1)単位とは、授業のコマ数を指す。週に1時間授業を行なって1単位である。学習指導要領に定められた時数は35時間で1単位であり、2単位ならば70時間、4単位ならば140時間の指導が必要である。また多くの学校で修得に必要な出席率は8割としている(7割での単位認定は学校長の裁量による、特殊事情を考慮した認定であることが多い)。
[編集] この問題に対する批評
- 教育委員会の監督不足
- 教育委員会は本来、管轄している学校の履修状況を把握する立場にある。そのため、今回未履修が数年間にわたり見過ごされていたのは、教育委員会に責任があるのではないかという意見がある。
- そもそも高等学校の学習指導要領に無理がある[17]
- 2002年4月以降、公立高校の授業が週5日制(週休2日制)となっていた。さらに、2003年4月以降に入学した場合、学習指導要領が改訂され、中学校で削除された内容や「総合」「情報」の科目が増えて、教える内容は多くなったのに、授業時間数が減ったという問題がある。また、理科の問題として、「理科総合」を必修科目として導入したことで時間がとられ、理工系学部・農学部の入学試験で課されるパターンが多い「化学」「『物理』または『生物』」を確実に指導することが困難になった。医学部の中にはその3つの科目を全て入学試験で課するところもあるので、学校の授業だけでの受験は事実上不可能である。また、「理科総合」は、「化学」と「物理」あるいは「生物」と「地学」を学べば、充分履修したことになるという意見も多い。
- 大学受験の科目選択
- 大学受験においては、限られた科目で試験が課される。そのため、受験生たちは、自分の受験科目のみを勉強したいという場合が多い。そのため、今回の問題は生徒側の要望に学校が応えた結果ともいえる。これは学校が受験目的の存在と化しつつある点にも問題があり、引いては学校自体の存在意義にも関わる。
- 公立高校の学区廃止
- 全国的に、公立高校の学区は廃止されつつあり、公立学校間での競争が激しくなった。そのため、大学受験に強い高校として競争するあまり、特定の科目のみに授業時間を増やしたところも多かった。
- 私立高校の受験重視カリキュラム
- 私立高校は進学実績が評価に直結するため、実技科目を極力削るなどして受験に偏ったカリキュラムを組む学校が非常に多い。私立中高一貫校では中学から受験科目に偏っている場合もある。私立調査がはじまると次々と履修不足が発覚し、全国の私立高校のうちの2割以上の単位不足が明らかとなった。
- 都市部と地方の学力格差
- 都市部では難関有名私立、大手予備校本校舎といった、公立高校以上の学習の出来る施設が充実しているが、地方にはそのような施設が少ない。そのため、全国規模で争われる大学受験において都市部の生徒に太刀打ちするため、学校が受験に必要のない科目を削減していた。実際、東北6県や長野県、静岡県などの多くの高校で発覚し、県を代表する進学校で顕著であった。
- 文部科学省の施策に対する批判
- 責任はカリキュラムを組んだ学校長だけに問われるものではなく、監督する立場にある教育委員会、更には、教育の実態を無視したゆとり教育を断行した文部科学省の施策にこそ問題があったという意見もある。
[編集] 処分
この問題で伊吹文明文部科学大臣は、「軽微な処分まがいの事でお茶を濁さないように」と述べ、各都道府県の教育委員会に厳正な処分を行うよう求めた。
[編集] 参考文献
- ↑ 「必修「地・歴」履修漏れ、3年生卒業ピンチ…高岡南高」。読売新聞、2006年10月24日。
- ↑ 「高校リスト」。"必修科目逃れ"まとめwiki。
- ↑ 「必修漏れ - 週内に救済策 文科省、私立高の調査も開始 -」。中日新聞、2006年10月30日。
- ↑ 「高校履修不足:全国PTA連合「適切な判断を」 文科省に文書」。毎日新聞、2006年10月27日。
- ↑ 「必修逃れ、文科省は扱いに苦慮…要望相次ぎ」。読売新聞、2006年10月28日。
- ↑ 「高校必修逃れ、推薦入学合格者も救済へ…文科相」。読売新聞、2006年10月30日。
- ↑ 18文科初第757号「平成18年度に高等学校の最終年次に在学する必履修科目未履修の生徒の卒業認定等について(依命通知)」。2006年11月2日。
- ↑ 「「生徒に不利益ないよう」と校長の遺書」。時事通信社、2006年10月31日。
- ↑ 奥村徹「「必修逃れ」の刑事責任」。 奥村弁護士の見解、2006年10月27日。
- ↑ 「「最悪の事態」 生徒に怒り、動揺広がる 東北」。河北新報、2006年10月26日。
- ↑ 「滑川、桜井、富山南高でも未履修 県教委が発表 別科目に授業振り替え」。富山新聞、2006年10月27日。
- ↑ 「県立4高校生徒に謝罪 必修科目未履修県内950人に 各校、補習などで対応へ」。西日本新聞、2006年10月28日。
- ↑ 「必修「読み替え」県内20校に」。新潟日報、2006年10月30日 。
- ↑ 「履修漏れ新たに私立2校で判明、計16校に」。朝日新聞、2006年10月29日。
- ↑ 「灘高、3年全員が履修漏れ」。読売新聞、2006年10月31日。
- ↑ 「未履修、新たに5校 - 修学旅行が「世界史」県内私立高」。埼玉新聞、2006年10月31日。
- ↑ 伊藤敏雄「高校「世界史履修不足問題」はなぜ起きた?」。All About、2006年10月30日。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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