高橋伊望
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高橋伊望(たかはし いぼう、1888年4月20日 - 1947年3月18日)は大日本帝国の海軍軍人。最終階級は海軍中将。福島県出身。
1908年、海軍兵学校36期卒業。同期に南雲忠一、沢本頼雄らがいる。戦艦霧島艦長、連合艦隊参謀長などを経て、太平洋戦争開戦時は第三艦隊司令長官。開戦後はフィリピン攻略戦や蘭印作戦に参加した。その後、第二南遣艦隊司令長官、南西方面艦隊司令長官、呉鎮守府司令長官を歴任した後に、1944年末に予備役に編入された。
[編集] 略歴
- 1920年12月1日 - 任 海軍少佐
- 1924年12月1日 - 任 海軍中佐
- 1926年2月20日 - 軽巡洋艦多摩副長
- 1929年8月20日 - 軽巡洋艦天龍艦長
- 11月1日 - ロンドン海軍軍縮会議全権随員
- 11月30日 - 任 海軍大佐
- 1930年12月1日 - 海軍省副官
- 1932年12月1日 - 重巡洋艦愛宕艦長
- 1933年11月15日 - 戦艦霧島艦長
- 1935年3月1日 - 佐世保鎮守府参謀長
- 1937年11月15日 - 連合艦隊参謀長兼第一艦隊参謀長
- 1939年11月15日 - 任 海軍中将、馬公要港部司令官
- 1941年4月10日 - 第三艦隊司令長官
- 1942年3月10日 - 第二南遣艦隊司令長官
- 4月10日 - 兼 南西方面艦隊司令長官
- 11月10日 - 呉鎮守府司令長官
- 1944年12月20日 - 予備役