駿台甲府高等学校
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駿台甲府高等学校 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人駿河台西学園 |
設立年 | 1980年(昭和55年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制の課程 |
駿台甲府高等学校(すんだいこうふこうとうがっこう)は、山梨県甲府市にある私立の高等学校。
昭和55年、提携校を探していた学校法人『甲府北星高校』と学校法人駿河台西学園が提携する形で発足した。
学校法人駿河台大学・駿台予備学校とは姉妹関係にあり、生徒対象に駿台予備学校による講習会が行われるほか、駿台模試の公開会場としてしばしば利用される。駿台予備学校は山梨県に存在しない。
ハンドボール部・ディベート部の活動が盛んである。また、かつては野球部にも力を入れており、1985年夏の全国高校野球大会県予選で決勝に進出したが、東海大甲府高等学校にサヨナラ負けを喫している。
目次 |
[編集] 概要
- 所在地
- 普通科 山梨県甲府市塩部2-8-1
- 美術デザイン科 山梨県甲府市上今井町1279-2
- 通信制課程 山梨県甲府市上今井町884-1
- 関連校
- 駿台甲府中学校(所在地は通信制課程と同じ)
- 駿台甲府小学校(所在地は通信制課程と同じ)
- 学生寮
- かつては甲府市内に3箇所の寮を有し(普通科1年生用の4人部屋の曙寮が甲府市山宮町の荒川沿いに、普通科2・3年生用の個室部屋の旭日寮が甲府市塩部の甲府工業高校の川向かいに、もう1箇所は美術デザイン科のある甲府市上今井町地内に存在していた)、県外の生徒や海外からの帰国子女を受け入れていた。特に帰国子女の受け入れについては、海外の日本人学校などを通して実施していた模擬試験の成績により優先入学の制度を設けるなど、積極的に行っていた(当校出身者(後述)の藤森慎吾も、香港からの帰国子女であり寮生活をしていた)。但し全寮制ではなく、むしろ寮生の方が少数派(寮生は1学年約100名程度)であった。
- 尚、上今井町に存在した寮に関しては、県外から入学した野球部の部員と、現在は閉鎖された専門学校(下記記載)の生徒を対象とした寮となっていた。
- 現在、直営の寮は所有しておらず、甲府市内で高校生向けの学生寮を経営する民間業者に委託している。
- 元教諭(後述)の荻野暢也は、赴任してから住まいが決まるまでの数ヶ月間、旭日寮に住んでいた。
[編集] 設置学科
- 普通科
- 普通クラス
- スポーツクラス
- 美術デザイン科
- 通信制課程(普通科)
- 以前は普通部と工業部に分かれ、工業部の中に自動車科とデザイン科が存在していたが、現在は自動車科は無くなり、デザイン科が美術デザイン科と改称され存続している。又、現在の校名になった際、2年間だけだが、旧甲府北星高校の生徒達を対象として、工業部の中に普通科が設けられていた。又、校舎は現在の小中学校が置かれている場所に存在した。
[編集] 出身者
[編集] 元教諭
- 荻野暢也 - 代々木ゼミナール数学科講師
[編集] その他
以前、美術デザイン科のある上今井町地内に『駿台自動車専門学校(後に『駿台理工専門学校』と改称)』が設置されていたが、現在は廃校となり、跡地は小学校の校舎となっている。 年数回から十数回、駿台予備学校の講師による特別講座が行われる。 近年は秋山仁による講演会が駿台甲府中学と合同で、年一回開催されている。 5階建ての新校舎が建設中で、2007年1月に完成し、2月に竣工式が行われる予定。
2006年10月より富士吉田市内~駿台甲府中学~駿台甲府高校を結ぶスクールバスがテスト運行を開始した、これは郡内地域からの通学生の利便性向上のためのもので2007年4月より本格運行される予定である。