香川登志緒
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香川登志緒(かがわ としお、1924年8月23日 - 1994年3月29日)とは、日本の喜劇作家。漫才作家。晩年に香川登枝緒と改名した。本名は加賀 敏雄(かが としお)。生前には1917年生まれと自称していた。
日本のテレビ草創期から数々の喜劇番組の脚本家として活躍し、日本のお笑い芸能史に多大な足跡を残した。漫才の台本も数多く手掛け、主に関西を中心に若手漫才師の育成に尽力した。
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[編集] 脚本を担当した主な番組
- てなもんや三度笠
- スチャラカ社員
[編集] 逸話
[編集] 上岡龍太郎
上岡龍太郎はもともと横山パンチという芸名で、横山ノック・フックとともにトリオ漫才の漫画トリオをやっていた。1968年に横山ノックが参議院選挙へ出馬するため漫画トリオは解散、上岡は新しい芸名を付けて再出発することになった。上岡は吉本興業の社員や香川に相談に乗ってもらい芸名を考えたが、このときに出た伊井パンチという名前を香川が強く推したため、上岡は伊井パンチという芸名を名乗ることになりかけた。結局上岡が強く反対して現在の名前で落ち着いたが、香川はしばらく不満だったという。(以上参照は「上岡龍太郎かく語りき」(上岡龍太郎著・ちくま文庫))
[編集] ダウンタウン
ダウンタウンを一番最初に公の場で評価したのが香川登志緒である。ダウンタウンが吉本興業に入って3か月、まだ吉本興業の養成所の受講生だった頃に出場した1982年度の第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクールにおいて、香川は審査委員長としてダウンタウンを大賞に選んだ。これについて香川はダウンタウンに対し、「昭和16、7年にいとしこいしが登場してきたときと同じ衝撃を受けた」と語っている。香川はその後もずっと同コンクールで審査委員長を務めたが、賞を授与するときに唯一ダウンタウンだけに握手を求めたとのことである。(以上参照は「4時ですよーだ最終回スペシャル」(毎日放送))
関西で大ブレイクした「4時ですよーだ」の最終回で、これから東京に進出して天下をとろうとしている頃のダウンタウン二人に対し、「あなたらは1+1が3にも4にもなる、バラバラでも面白いが二人合わせたらより面白くなるということを忘れないようにいてほしい」という言葉を伝えた。(以上参照は「4時ですよーだ最終回スペシャル」(毎日放送))
「自分には身寄りが無いので吉本興業の若手芸人は孫のようなものだと思っている」とも言い、ダウンタウンの活躍を見届ければゆっくりあの世へ逝けるという意味のことを語った。それから5年後の1994年、ダウンタウンが「ごっつええ感じ」や「ガキの使いやあらへんで」などのテレビ番組で名実ともにお笑い界の頂点に立とうという頃、香川は静かに息をひきとった。(以上参照は「4時ですよーだ最終回スペシャル」(毎日放送))
テレビ番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」のショートコントでダウンタウンの松本人志が演じていた「香川さん」は、香川登志緒がモデルである。コントではネタになっていたが、実際にテレフォンカードをよく渡していたらしい。
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