飯村丈三郎
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飯村丈三郎(いいむら じょうざぶろう、1853年(嘉永6年) - 1927年(昭和2年)10月3日)は、茨城県下妻市出身の明治時代・大正時代の政治家・実業家である。晩年は「報恩感謝」を掲げて教育にも取り組んだため、教育者としても知られている。
日本において東海道常陸国の真壁郡上妻村黒駒(旧下妻藩内、現在の茨城県下妻市黒駒)の名主の子供として、1853年(嘉永6年)に誕生した。
茨城県において自由民権運動に加わり、その後、1881年(明治14年)に茨城県会議員となり、1890年(明治23年)には、第1回帝国議会衆議院選挙に当選し、その後も2回当選した。
さらに、頭取として第六十二国立銀行の経営再建を行い、さらに1891年(明治24年)からは、地方新聞のいはらき新聞(現在の茨城新聞社)の第2代社長を務めた。また、茨城県内を中心として初代水戸鉄道(現在の水戸線)をはじめとする鉄道の建設・運営にも関わった。そのほかにも、実業家として関わった多数の企業、事業がある。
晩年は教育を志し、1927年(昭和2年)には水戸藩藩校の弘道館の流れを汲む水戸学院を引き継ぐ形で、私的財産を投入して旧制私立茨城中学校(現在の茨城高等学校・茨城中学校)を設立した。
その後、東京府大手町でタクシーにひかれ、1927年(昭和2年)10月3日に突然他界した。
2003年(平成15年)には飯村丈三郎の生誕150年を迎え、同年5月17日には茨城県水戸市で、茨城県下妻市、株式会社茨城新聞社、学校法人茨城(茨城中学校・茨城高等学校の設置法人)などを中心として「飯村丈三郎生誕150年記念講演会・シンポジウム」が開かれた。