靱公園
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面積 9.7ha。
開園 1955年 10月21日。
かつての大坂随一の魚市場、雑喉場魚市場(ざこばうおいちば)および靱塩干魚市場の跡地である。雑喉場魚市場は大阪湾などからの鮮魚を一手に扱い繁盛し、海部堀川(第二次大戦後埋め立て)沿いの靱塩干魚市場は干物や肥料にする干鰯などの海産物を全国から集めていたが、1931年の大阪中央卸売市場の開場後に両方とも閉鎖され、大阪大空襲で廃墟となった。
戦後、進駐軍の小型飛行機用の飛行場となり、その滑走路跡地が現在の靱公園となったため、東西に細長い形をしている。大きな木が多数植わっており、緑の少ない大阪では貴重な都会のオアシスである。また、テニスコートが多く、テニスの国際的な大会もこの公園で行われている。かつては靱蹴球場というサッカー専用グラウンドがあったが、テニスコートの拡大に伴い、現在は閉鎖されている。 公園周辺は、1990年代後半から衣料店やカフェ、レストラン、パン屋や洋菓子店などが目立つようになり、ファッショナブルな街へと変貌する途上にある。
靱公園の中央、なにわ筋沿いに楠永神社があり、大きなクスノキが目立つ。ここは古くからの神社でかつて海部堀川が横を流れており、靱市場の数少ない名残である。クスノキは戦後、飛行場建設の際に伐採されようとしたが、けが人やブルドーザーの故障が相次いだ。お祓いの際に神社の建物から白い蛇が出てきたことから「この木は神木なので切ってはいけない」という話になり今に残っている。
目次 |
[編集] 主要な施設
- 大阪科学技術センター(隣接)
- テニスコート(ハードコート16面、アンツーカー10面)
- バラ園
[編集] アクセス
[編集] 周辺情報
[編集] 外部リンク
[編集] ギャラリー
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