難波宮
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難波宮(なにわのみや)は、現在の大阪市中央区にあった飛鳥時代・奈良時代の宮殿。それまで史書には載っていたが、所在地は不明なままであった。1961年(昭和36)、山根徳太郎らの発掘により、聖武天皇時代の(後期)難波宮・大極殿跡が発見されその存在が確認された。さらにこれより古い飛鳥時代の宮殿址も見つかっており、これは前期・難波宮と言われる。
山根は発見当時、「われ、幻の大極殿を見たり」という発言を残した。
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[編集] 前期・難波宮
大化の改新の後、645年に孝徳天皇は難波に遷都し(難波長柄豊埼宮)、宮殿は652年に完成し、日本最初の本格的な首都の宮殿建築とされる。これは掘立柱、草葺屋根で造られたものであった。
655年、斉明天皇は奈良の後飛鳥岡本宮(のちのあすかのおかもとのみや)に都を遷した。
[編集] 後期・難波宮
奈良時代の神亀3年(726年)に聖武天皇が藤原宇合を知造難波宮事に任命して難波京の造営に着手させて離宮を設置する(平城京との複都制)。中国の技法である礎石建、瓦葺屋根の宮殿が造られた。天平15年(744年)に遷都され、このとき難波京も成立していたと考えられている。翌天平16年1月1日、難波宮から紫香楽宮へ遷都した。
784年、桓武天皇により長岡京に遷都された際、大極殿などの建物が長岡京に移築された。
[編集] 史跡難波宮跡
- 現在、難波宮の跡地の一部は、難波宮史跡公園となり、大阪城の南に整備されている。
- 難波宮の遺跡は周辺にも及んでおり、NHK大阪・大阪歴史博物館のある一角も難波宮の跡である。大阪歴史博物館の地下1階では、地下遺跡の様子を見学することができる。
- 同博物館前にある茅葺きの高床倉庫は、法円坂遺跡で見つかった5世紀(古墳時代)の巨大高床倉庫群のうち1棟を復元したもの。難波宮以前から重要な交通拠点となっていた難波津の遺構である。
- 万葉仮名で書かれたものとしては、最古とされる木簡が出土している。
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