隣組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
隣組(となりぐみ)
- かつて日本にあった制度で、1940年に初めて明文化された。町内会のさらに下にあり数家庭ごとに一組を組織し、配給の効率化や思想統制を図った。本項で詳述する。
- 岡本一平が作詞し(作詞著作権消滅)飯田信夫が作曲し、德山璉が歌った歌謡曲の名前である。戦時中の隣組制度を唄った歌詞で、また「ドリフ大爆笑」のテーマの元歌である。隣組 (歌曲)(歌詞はs:隣組 (歌曲))を参照。
隣組は、日本の昭和期において、戦時体制の基盤の1つとなった隣保組織である。
国民精神総動員運動、選挙粛清運動と並び、1940(昭和15)年に内務省が布告した「部落会町内会等調整整備要綱」によって制度化される。5軒から10軒の世帯を一組とし、団結や地方自治の進行を促し、戦争動因や物資の供給、配給、防空などを行わせた。第二次世界大戦、太平洋戦争の敗北後、GHQにより解体された。
現在でも、回覧板の配布など、隣組で行なわれていた活動の一部は、町内会・区(政令指定都市の区ではない)・自治会に引き継がれている。地方によっては、単身赴任者が多く居住するワンルームマンションの増加など、地域と住人の関係が疎遠になる例もあり、地元神社の氏子加入や、寄付などをめぐり問題を生じている地域もある。