阿部隆
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阿部 隆(あべ たかし、1967年8月25日 - )は、日本の将棋棋士。棋士番号171。大阪府出身。田中魁秀門下。
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[編集] 人物
関西将棋会館に属する。産まれたのも大阪府という、根っからの関西棋士である。本格居飛車党の棋士で棋理を重んじる。そのため解説の場などにおいて、彼の指した手は将棋の標準として、棋士仲間からも認められる。その反面、予想外の手を比較的指さない傾向にある。
普段は非常に温和な性格で、ファンサービスにもかなり熱心であるが、対局に負けたときには非常に感情的になることで有名であり、「こんなんこっちの勝ち」と連呼することから、「こんなん阿部」と呼ばれることもある。島朗に大逆転負けを喫した時に「(相手が自分でなく)羽生さんだったら投げてたでしょ!?」などと発言しながら、一時間以上感想戦を続けたこともある。対照的に対局に勝ったときは非常に機嫌がよいため、「勝てば仏、負ければ鬼」と評されている。
「簡単に着用できる和服」ということで、作務衣を愛用している。タイトル戦で作務衣を着ていたこともある。また扇子を鳴らしたり、体を揺すってなんらかのリズムを刻みながら対局することもある。とにかくキャラクターが独特なので、地元の関西では元より、ネット上でも一定の人気がある。
[編集] 戦跡
1985年にプロ棋士(四段昇段)となった頃は、「東の羽生、西の阿部」とも称された。長らくタイトル挑戦の機会には恵まれなかったが、2002年、羽生善治竜王(当時)にタイトル戦初挑戦を果たした。序盤に2連敗したものの、その後3連勝で羽生を追いつめ、3勝3敗の五分となった最終戦でも終盤まで優勢を保ったが、逆転負けでタイトルを逃した。羽生圧勝の下馬評を完全に覆し、もう一歩で竜王奪取というところまでいった激闘のため2ちゃんねるの将棋・チェス板では、敬意を込めて2ch竜王と呼ばれることもある。
2005年、銀河戦での加藤一二三との対戦で、対戦相手の加藤が「待った」の反則をしたが、対局は続行し、阿部が敗退するという珍しい記録を残した。対局中は「待った」についての指摘はなかった。(その後、加藤はこの反則で処分を受けた。)(詳しい経緯は銀河戦の項参照)。
谷川浩司、山崎隆之らとともに、関西棋士の中では最強クラスの実力をもっていたため、順位戦B級1組では長年昇級候補であったが、惜しいところで毎年涙を呑んでいた。 2006年に念願のA級昇級を果たす。
[編集] 趣味
趣味は競馬とダイビングで、競馬予想TV!に予想家として出演したこともあり、今の妻と知り合うきっかけはダイビング仲間に紹介してもらったということであった。
関西出身であるので、谷川、井上らとともに阪神ファンだと思われがちだが、実は西武ファンである。また旧西武ドームで毎年コンサートを開いていた渡辺美里のファンでもある。
[編集] 昇段履歴
- 1981年 6級
- 1983年 初段
- 1985年6月10日 四段
- 1989年8月11日 五段
- 1992年11月16日 六段
- 1997年6月6日 七段
- 2005年2月16日 八段
[編集] 主な成績
(2006年4月1日現在)
[編集] 獲得タイトル
- なし
[編集] 一般棋戦の優勝歴
- 全日本プロトーナメント 1回(第12回)
- 勝ち抜き戦5勝以上 1回(第20回)
合計 2回
[編集] 将棋大賞
- 第24回(1996年度) 最多対局賞
[編集] 関連リンク
名人戦(名人・森内俊之) |
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