阪急920系電車
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920系電車(920けいでんしゃ)は、阪急電鉄の前身である阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄時代に建造された電車。
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[編集] 概要
1934年(昭和9年)から1948年(昭和23年)にかけて神戸線用として56両が川崎車輌で建造された。製造時期によって6タイプに分けられる。
[編集] 基本概要
車体は、900形電車の設計を引き継いでいるが、Mc(制御電動車)-Tc(制御車)の2両固定編成で建造された。車両間については、連結器として遊間が無く起動加速時の衝撃が少ない密着式連結器が、中間貫通路には広幅貫通路が、それぞれ採用されたほか、車内の座席は全て奥行きが深く低座面のロングシートとなった。またモータは将来の昇圧を目論んで170kWの高出力なものを使用しており、阪神間25分運転の実現に大きく寄与した。
数度にわたって建造されたため、車体細部に違いが存在するが、特に戦後の1948年に建造した編成(C#943-973~947-977)については、資材不足の時期にも関わらず、全鋼車として登場しているのが特筆される。
[編集] 第1次車(920形)
- C#920~924(Mc)、950~954(Tc)
1934年6月製造。2両固定編成であるが、貫通幌の使用開始は1936年4月1日に三宮駅に延長されてからのことで、それまでは神戸駅(三宮開業後上筒井駅)構内の急カーブの関係上幌が取り付けられなかったため、代わりにはめ込み扉を設置していた。台車は汽車会社製ビルドアップ・イコライザー台車のL-17(920形)およびL-15(950形)で、軽量化を勘案して若干構造が違えてあり、C#920・921・950・951の4両は軸受にスエーデンSKF社製ローラーベアリングを試験装着して竣工している。 C#951は1945年8月5日に西宮車庫で空襲により被災し、戦後復旧されている。
[編集] 第2次車(925形)
- C#925~928(Mc)、955~958(Tc)
1936年3月製造。第1次車とは、通風器や台車に相違点が見られ、台車はSKF社製ローラーベアリングを標準装備する、同じくビルドアップ・イコライザー式の川崎車輌製川-16に変更された。
[編集] 第3次車(929形)
- C#929~933(Mc)、959~963(Tc)
1937年3月製造。車体からリベットが消え、多少スッキリとした外観になった。第1次車・第2次車との大きな相違点は、運転台側妻面に貫通幌取り付け枠が設置されていることと、台車が鋳鋼製イコライザー台車である住友金属製KS-33Lに変更されたことである。第4次車・第5次車でも採用されている。C#929は1945年8月5日に西宮車庫で空襲により被災し、戦後復旧されている。
[編集] 第4次車(934形)
- C#934~937(Mc)、964~967(Tc)
1939年8月製造。台車が再び川-16となった以外は第3次車とほぼ一緒である。また、この世代では窓配置の大幅な変更、前面貫通扉の拡張といったモデルチェンジも検討されていたが、結局採用されなかった。
[編集] 第5次車(938形)
- C#938~942(Mc)、968~972(Tc)
1941年4月製造。第3次車とほぼ同一であるが、950形の台車についてはKS-33L系ながら軽量化目的でホイルベースの短縮が実施された。
[編集] 第6次車(943形)
- C#943~947(Mc)、973~977(Tc)
1948年5月製造。最後の増備形式。時節柄、全車被災車両や事故廃車車両の車籍を使い、それらの改造名目で製造されている。
- C#10[1]→C#943
- C#25[2]→C#944
- C#150[3]→C#945
- C#304[4]→C#946
- C#305[5]→C#947
- C#54[6]→C#973
- C#77[7]→C#974
- C#203(初代)[8]→C#975
- C#215[9]→C#976
- C#807[10]→C#977
屋根は木製帆布張りであり、運転台はコンパートメント式、台車は川-16であった。
[編集] 電装品
主電動機は芝浦製作所製SE-151[11]を920形に4基搭載する。歯数比は2.19で、高速運転重視のセッティングであった。
このSE-151は900形に搭載されたSE-140[12]の強化型に当たるモデルで、大阪市電気局が高速電気軌道100形用として採用したSE-146と並んで、芝浦が開発した吊り掛け式電車用電動機の頂点に立つ、当時日本最強の230馬力級電車用電動機である。
もっとも、端子電圧が示す通り、600V時代の神戸線では主電動機の定格出力は25%減となるため、実質170馬力級相当となり、必要を満たすぎりぎりの性能であったことになるが、昇圧後はその真価を発揮し、本系列を含む吊り掛け駆動車群を高性能車と同じダイヤで運行可能とするなど、阪急が長期間に渡って吊り掛け駆動車を本線上で運用する一因となった。
制御器はゼネラル・エレクトリック(GE)社系電空カム軸式PCコントロールで、主電動機と同様にGE社のライセンス先である芝浦製のRPC-52あるいはPC-2Bが搭載された。
[編集] 消長
神戸線のほか、後年は規格向上された宝塚線でも使用された。1958年(昭和33年)より920形→925形→929形→943形→934形→938形の順で車体更新が始まったが、最後に更新されたC#934-964~942-972については、長編成化を考慮して中間車化された。その後ブレーキ装置がA動作弁を使用するAMA自動空気ブレーキから応答性の高いHSC電磁直通ブレーキに変更され、神戸線での6両編成運用が可能となった。更新後は中間車化された900形や、800形とともに使用されていたが、新型車の増備で次第に支線区に追いやられ、1979年(昭和54年)より廃車が開始され、1982年(昭和57年)に全廃された。
なお、C#969~972は4050形貨車C#4050~4053に改造されている。また、C#924(車番はC#920となっている)の前頭部も保管されている。
[編集] 脚注
- ↑ C#10は西宮車庫で空襲により被災
- ↑ C#25は西宮車庫で空襲により被災
- ↑ C#150は阪急47形電車47の後身で、阪急伊丹線→阪急北野線で使用の後休車となり、西宮車庫で空襲により被災。
- ↑ C#304は1945年6月15日の大阪大空襲で天満橋駅において被災。
- ↑ C#305は1945年6月15日の大阪大空襲で天満橋駅において被災。
- ↑ C#54は1946年2月に宝塚線で事故焼失。
- ↑ C#77は1945年11月に宝塚線で事故焼失。
- ↑ C#203(初代)は1917年に南海鉄道から譲り受けた有蓋電動貨車であり、西宮車庫で空襲により被災。
- ↑ C#215は休車中に失火で全焼。
- ↑ C#807は1946年8月に天満橋駅構内で脱線転覆事故に遭ったもの。
- ↑ 端子電圧750V時定格出力170kW/810rpm。
- ↑ 端子電圧750V時定格出力150kW/780rpm。
[編集] 参考文献
- 関西鉄道研究会「戦後10年の車両」『急電 第38号』1955年
- 山口益生「歴史を築いた阪急の車両」『鉄道ピクトリアルNo.521 1989年12月臨時増刊号 特集・阪急電鉄』鉄道図書刊行会、1989年
- 沖中忠順「京阪電車の歴史を飾った車両たち」『鉄道ピクトリアルNo.553 1991年12月臨時増刊号 特集・京阪電気鉄道』鉄道図書刊行会、1991年
- 浦原利穂『戦後混乱期の鉄道 阪急電鉄神戸線 -京阪神急行電鉄のころ-』トンボ出版、2003年、ISBN 4-88716-128-X
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