阪急10形電車
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10形電車(10がたでんしゃ)は、デロ10・フロ50またはP-4・P-5と呼ばれる、木製車体の電車である。
[編集] 概要
新京阪鉄道が天神橋駅と淡路駅間を開業するにあたり、1925年(大正14年)より製造開始した車両である。
まず最初にC#9~C#13が製造された。これらの車両は部内ではP-4形と呼ばれている。電装品は、新京阪鉄道の親会社である京阪電鉄に倣い、東洋電機製48kwモーター及びES形電動カム軸式主制御器を装備し、ブレーキはSME式、台車はブリルMCB形を採用した。
1926年(大正15年)にC#14~C#18が増備されたが、これらの車両はP-5形となった。なお、P-4形とP-5形とは、車体の一部に差異が見られるが、基本的には同一である。さらに1927年(昭和2年)にC#19~C#28が、1929年(昭和4年)には、制御車としてC#51~C#56が増備され、全車出揃った。同じ頃、C#9~C#10がC#29~C#30に改番された。また、1929年(昭和4年)6月には、鉄道省からの通達により形式呼称を付ける様に指示された為、公式にはデロ10形・フロ50形となったが、部内では引き続きP-4・P-5と呼ばれ、デロの呼称は外部で親しまれる様になった。
1928年(昭和3年)には1500vに昇圧され、集電装置がパンタグラフ化されるとともに電動発電機が設置されたが、床下スペースの都合上、非パンタグラフ側運転台下に吊り下げられ、独特な風貌となった。さらに1932年(昭和7年)頃からは、車体の両側または片側に貫通扉を取り付ける工事が開始され、嵐山線用のC#29~C#30を除き、1940年(昭和15年)に完了した。(C#29~C#30は1948年(昭和23年)に施工)
1936年(昭和11年)に、C#25とC#55が事故により焼失し、廃車となった。
その後も千里山線と嵐山線で使用されたが、1957年(昭和32年)に8両が能勢電気軌道に譲渡され、1961年(昭和36年)には6両が貸与された。残りの車両のうち4両(C#15~C#16、C#26、C#56)は、引き続き嵐山線で使用されたが、1963年(昭和38年)に廃車され、阪急線から姿を消した。
能勢電気軌道の14両は、不要となった電動発電機を撤去し、集電装置をトロリーポールに変更された上で2両編成で使用されたが、京阪神急行電鉄(のちの阪急電鉄)から320形が入線したのに伴い、再びパンタグラフに交換された。一時は3両編成化の計画も出たが、500形の借入が具体化した為に廃車される事となり、1967年(昭和42年)までに廃車された。なお、阪急より借り入れた車両は1966年(昭和41年)に返却され、直ちに廃車された。(実車は平野車庫で解体された)
なおC#30(元C#10)は、登場当時の姿に復元され、宝塚ファミリーランド内ののりもの館(旧・電車館)で保存されていたが、同館の閉鎖に伴い正雀工場に移送され、現在も保管されている。また、能勢電気軌道に譲渡された車両のうち3両が、電動貨車への改造を前提に平野車庫に留置されていたが、1975年(昭和50年)頃に解体されている。
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