長良川の戦い
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長良川の戦い(ながらがわのたたかい)は斎藤道三と斎藤義龍との間で行われた合戦である。
1542年(天文11年)、名門土岐氏に変わって美濃の国主となった斎藤道三(さいとうどうざん)の斎藤義龍(よしたつ)に国を譲ったものの、いずれは、道三の三男である喜平次(きへいじ)を跡継ぎとしたいと考えていた。しかしそれが義龍に知れたため、1556年に稲葉山の屋敷で二人の弟を斬殺した事から、一家一族が分かれ戦いになった。しかし、兵の大半が義龍につき、その数は17500。それに対し道三には2700の兵が集まっただけだった。
戦いは斎藤義龍が勝ち、道三は戦死した。織田信長が道三を救うために援軍を送ったが間に合わなかった。