銀本位制
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銀本位制(ぎんほんいせい)とは、ある国の貨幣制度の基礎となる貨幣、すなわち本位貨幣を銀貨とし、その自由鋳造、自由融解、強制通用力を認める制度を指す。
この場合、ある国の通貨は一定量の銀の量で表すことができ、商品の価格も銀の価値を標準として表示される。
実際には、銀のみを法的に本位貨幣とする純粋な銀本位制の例は、歴史上あまり多くない。日本の江戸時代においても、東日本で主に金貨、西日本で主に銀貨、そして補助貨幣として銭という制度が施行されていた。このように、銀貨と金貨を共に本位貨幣とする制度を金銀複本位制という。
しかし、この金銀複本位制が形骸化して銀貨のみが流通し、事実上の銀本位制度となる場合が少なからず見られる。一例として、19世紀、ヨーロッパ諸国の多くも金銀複本位制を採っていたが、銀産出高の増加などにより銀の市場価格が下落、金貨との法定比価との間に開きができた。この場合、銀貨を流通させて金貨を退蔵した方が有利な為(グレシャムの法則)、なし崩し的に事実上の銀本位制となった。
この時期の銀の市場価格の変動は大きくまた下落傾向が顕著であった為、そして、その当時世界経済の主導的地位を占めていたイギリスが既に金本位制に転じていた為、銀本位制諸国は深刻な影響をうけ、19世紀の終りにはほとんどの国が金本位制に転じた。
日本においては1871年5月に「新貨条例」を制定し、形式上は金本位制が採用された。しかし、当時は東洋市場においては銀貨による対外支払いが一般的であった為、1円銀貨(量目は416グレイン)ならびに、当時のメキシコドルに相当する420グレインの量目の貿易銀を発行し、貿易などの対外支払用貨幣として使用した。
1878年には1円銀貨の国内一般通用が認められ、事実上の金銀複本位制となったが、金貨の流出と政府不換紙幣の大量発行によって、金貨はほとんど流通しなくなった。さらに松方デフレ後の1886年には、初の日本銀行券(大黒図案の100円、10円、5円、1円の兌換銀券)による銀兌換が開始され、1897年に正式に金本位制を採用するまで、事実上の銀本位制が継続した。