選帝侯
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選帝侯(せんていこう、Kurfürst)とは、神聖ローマ帝国において、ドイツ王ないしローマ王(すなわち神聖ローマ皇帝)に対する選挙権(選定権)を有した諸侯のことである。選挙侯(せんきょこう)又は選定侯(せんていこう)ともいう。選「帝」侯とは言うが、形式的には彼らが有するのは国王選挙権であって、皇帝選挙権ではない(ドイツ王であることは事実上皇帝ではあるが、ローマ教皇の推戴(戴冠)がなければ神聖ローマ皇帝とは呼ばれない)。
この選挙は、1198年から1806年まで行われた。1198年、ローマ教皇インノケンティウス3世はヴェルフおよびホーエンシュタウフェン朝の後継争いについて、7人の選帝侯のみが決定権を持つと定めた。
1257年以来、選帝侯会議は下記の7人によって占められ、1356年にカール4世が発した金印勅書によって、この顔ぶれが法的に確定した。
選帝侯は次第に力をつけ、ホーエンシュタウフェン朝の血統が絶えた後は、小貴族を皇帝に据えて自らの勢力を安定させようとしたが、彼らのそうした思惑の元で帝位を得たハプスブルク家が次第に力をつけ、後には皇帝位は完全にハプスブルク家の世襲となり、皇帝選挙自体が儀礼上のものとなってしまった。
なお、選帝「侯」というものの、ここでいう「侯」は諸侯のことであり、実際の位は王、公、宮中伯、辺境伯、大司教などである。
- 教会諸侯(聖職諸侯)
- 世俗諸侯
後にバイエルン公(1777年以降はライン宮中伯が兼ねる)、ハノーファー公(イギリス王位を獲得)、ザルツブルク公、ヴュルテンベルク公、バーデン辺境伯、ヘッセン=カッセル方伯などがこれに加わった。