遠山友忠
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遠山 友忠(とおやま ともただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。美濃苗木城主。
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時代 | 戦国時代、安土桃山時代 | |||
生誕 | 享禄4年(1531年) | |||
死没 | 不明 | |||
別名 | 久兵衛(通称) | |||
氏族 | 遠山氏(苗木遠山家) | |||
父母 | 父:遠山友勝 | |||
子 | 遠山友政 |
享禄4年(1531年)、遠山友勝の子として生まれる。父の後を継いで苗木城主となるが、織田信長が美濃を制圧すると、信長の家臣となった。元亀3年(1572年)に武田信玄が西上を開始すると、その命令で東美濃に侵攻してきた秋山信友(晴近)と戦っている(上村合戦)。本家筋の岩村遠山氏が武田氏に降伏したのちも織田氏方に留まり、のちに岩村遠山氏が秋山信友が滅ぼされると、織田家重臣の河尻秀隆の指揮下に加えられた。
信長没後の天正11年(1583年)、美濃金山城主・森長可と東美濃の覇権をめぐって争い、敗北して子の友政と共に徳川家康を頼って落ち延びた。以後は家康の家臣である菅沼定利のもとに身を寄せ、そのまま死去。