蹉だ天満宮
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蹉跎天満宮 | |
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所在地 | 大阪府枚方市南中振1-7-18 |
位置 | -- |
主祭神 | 菅原道真公 |
社格等 | 郷社 |
創建 | 天暦5年(951年) |
本殿の様式 | -- |
例祭 | 10月15日 |
主な神事 | -- |
蹉跎天満宮(さだてんまんぐう)は、大阪府枚方市にある神社(天満宮)である。蹉跎神社(さだじんじゃ)とも呼ばれる。(「跎」は{足它})
菅原道真(天神様)を祭神とする。神体は菅原道真の像で、道真が自ら作らせたものと伝えられる。
[編集] 歴史
延喜元年(901年)、菅原道真が大宰府へ左遷される途中、山の上で休憩し、都の方を望んで名残を措しんだ。その場所を「菅相塚」という(現寝屋川市菅相塚町)。その後を娘の苅屋姫が追いかけたが、あと少しの所で間に合わず、足摺り(=蹉跎)して嘆いたという。ここから、その山を「蹉跎山」と呼ぶようになった。大宰府でその話を聴いた道真は、三尺二寸の自身の木像を作って娘に送ったという。天暦5年(951年)、蹉跎山に社殿を造営して木像を祀り、近隣25箇村の産土神としたのが当社の始まりと社伝に伝える。
慶長19年(1614年)の大阪冬の陣で社殿は焼失したが神像は無事で、現在地に遷座して中振・出口両村の産土神として再建された。明治5年に郷社に列格した。現在の社殿は明治22年3月に改築されたものである。
江戸時代まで、境内には聖徳太子が開基したと伝えられる龍光寺があった。当社創建後は宮寺とされていたが、明治の神仏分離で廃され、仏像や曼陀羅などは近くの浄土院に移された。
[編集] 社殿
中振の集落から当社まで真っ直に参道が伸び、「蹉跎参道」と呼ばれている。現在は、京阪本線と大阪府道21号八尾枚方線が参道を横切っている。八尾枚方線との交点の角に社名標があり、その近くに一の鳥居が立っている。参道は坂道で、二の鳥居からは石段となる。二の鳥居の前に社務所がある。
- 摂社
- 皇太神宮
- 金比羅神社(事代主神)
- 春彦神社(市寸島毘売尊)
- 稲荷神社
出口の集落に御旅所があり、例祭の日には神輿が渡御する。御旅所の敷地の奥には本宮の遙拝所がある。