豊栄神社・野田神社
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豊栄神社(とよさかじんじゃ)・野田神社(のだじんじゃ)は、山口県山口市にある神社である。豊栄神社は毛利元就を、野田神社は毛利敬親・元徳を祭神とする。旧社格はどちらも別格官幣社で、現在は神社本庁の別表神社に指定されている。
両社は神社としてはそれぞれ別の神社であり、本殿・拝殿・幣殿・回廊は別であるが、社務所など多くの施設が両社で共通になっている。両社は密接な関係にあることから、ここでは併せて説明する。
[編集] 豊栄神社
豊栄神社 | |
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所在地 | 山口県山口市上宇野令字野田831 |
位置 | -- |
主祭神 | 毛利元就公 |
社格等 | 別格官幣社・別表神社 |
創建 | -- |
本殿の様式 | -- |
例祭 | 10月1日 |
主な神事 | -- |
関ヶ原の戦いの敗戦により安芸国から長門国に移封された毛利輝元が、萩・江向村の春日神社境内に祖父の元就の霊を祀ったのに始まる。宝暦12年(1762年)、長州藩主重就が、毛利氏の祖神とされる天穂日命と元就の霊を同神社に合祀して主祭神とし、仰徳大明神(仰徳社)と称した。
明治2年(1869年)、元就に正親町天皇の即位を援助するなど朝廷を崇敬する事跡があったことから、明治天皇より「豊栄」の神号が与えられ、豊栄神社に改称した。明治4年(1871年)、長州藩が藩庁を萩から山口に移す際に、豊栄神社も山口市の現在地に移された。明治15年に別格官幣社に列格した。
元就が吉田郡山城を増築する際、人柱に代えて「百万一心」と彫った石を埋めた。廃城後に城跡から発見されたこの石の拓本の額が豊栄神社に奉納され、絵馬殿に展示されている。平成9年、境内に「百万一心」の碑が建てられた。
[編集] 野田神社
野田神社 | |
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所在地 | 山口県山口市上宇野令字野田832 |
位置 | -- |
主祭神 | 毛利元徳公 毛利元徳公 |
社格等 | 別格官幣社・別表神社 |
創建 | 明治6年(1873年) |
本殿の様式 | -- |
例祭 | 3月5日 |
主な神事 | -- |
明治6年(1873年)、長州藩最後の藩主で明治維新の功労者である毛利敬親を豊栄神社の別殿に祀り、敬親の諡号より忠正神社と称したのに始まる。翌明治7年(1874年)、鎮座地名からとった現在の野田神社に改称し、明治19年に現在地に遷座した。明治9年に県社、大正4年(1915年)に別格官幣社に列格した。
敬親の養嗣子の元徳は死の2年後の明治31年、野田神社の摂社・芳宜園神社に祀られたが、昭和11年に本殿に合祀された。
[編集] 大田市の豊栄神社
島根県大田市の石見銀山の近くにも、毛利元就を祭神とする豊栄神社がある。
毛利元就自身が自らの姿を彫ったものとされる木像を神体としている。元々は曹洞宗の長安寺という寺院であり、一説には、元亀2年に毛利輝元が建立した。慶応2年(1866年)、長州軍が石見に進駐した際、長安寺に元就の木像が祀られているのに驚いたという。翌慶応3年、長州軍の隊士により長安寺境内に霊社が造営された。明治3年、前年に明治天皇から与えられた神号をつけて豊栄神社とし、長安寺は廃寺となった。
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