谷本清
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谷本 清(たにもと きよし、1909年 - 1986年)は、香川県坂出市出身の日本の牧師、平和活動家。
関西学院大学神学部を卒業後、渡米して1940年、エモリー大学大学院修了。
1943年、日本基督教団広島流川教会の牧師に就任。
1945年、爆心から3kmの知人宅で広島市への原子爆弾投下に遭遇。被爆するが奇跡的に助かる。その時の様子は、ピュリッツァー賞作家ジョン・ハーシーの著書『ヒロシマ』によって大きく世界に紹介されることとなる[1]。
ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』で一躍全米で時の人となった谷本清は、1948年米国の教会に招かれて渡米する。15カ月間に渡り31州256都市で講演を行ない、広島の惨状と平和を訴えた。そうした活動を続ける中で、パール・バックやアインシュタインなど、と出会うことになる。
しかし戦後の6年8カ月間、占領軍によるメディア規制が敷かれていた日本国内では、原爆被害の実情も、谷本牧師の活動もよく知られていなかった。
また日本国内では彼の事を原爆牧師とあだなして非難する人もあった。
日本国内より海外、特にアメリカで高く評価されている人物である。
1950年、ヒロシマ・ピース・センターを設立し、ノーマン・カズンズとともに原爆で傷ついた少女や孤児の救済活動などに取り組む。広島文化平和センター理事長等を歴任した。
1986年、死去。生前の功績を讃え、故人としては異例だが、エモリー大学から名誉神学博士の称号を授与されている。その式典には2002年にノーベル平和賞を受賞した第39代アメリカ合衆国大統領ジミー・カーターも参列した。
死去の翌年の1987年には谷本清平和賞が創設された。
[編集] 注釈
- ↑ ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』はアメリカでは学校の社会科の副読本として長きに渡り広く読み続けられている。また20世紀アメリカジャーナリズムのTOP100の第1位に選出されている。