解釈学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
解釈学(かいしゃくがく、独:Hermeneutik)とは、様々なテクストを解釈(独:Interpretation)する文献学的な技法の理論、あるいはそもそも「解釈する」という事に対する体系的な理論の事である。
目次 |
[編集] 概要
ドイツ語の表記「Hermeneutik」は、ギリシア語のερμηνευτική [τέχνη],、つまり古代ギリシア語の読みでの hermeneutiké [téchne] から由来し、解釈、翻訳、説明、釈義の術という意味で、ギリシア神話の中で神々の意志を人間に伝える神々の伝令役、ヘルメスの名から採られたもので、元々はテキスト理解の技術として生まれたものであった。
特に現代では後者の意味として、即ち近現代の西洋哲学における「解釈」する事に対する理論、方法などを吟味する哲学の一つの重要な分野として、認識されている事が多い。そもそも、ここでは「解釈する」とは理解不能な言葉や事柄を理解可能な形で、表現するないしは伝達するといった意味である。(翻訳や伝達といったニュアンスも含んでいる)解釈学は古代以来、往々にして西洋思想は常に未知なる理解不能な思想と接し、これを自分たちの思想に取り入れるために、常に自分たちに理解できるような形で、取り入れてきた(解釈した)という思想的背景の元、育まれてきたものである。
解釈学の源流は、テクストに対する解釈の技法の理論として古典ギリシア時代(前8世紀頃)のホメロスの詩句の解釈から既に始まっているものであり、これが後の世に旧約聖書、新約聖書といった聖書解釈、中世以降、法律、古典文献など様々な分野の言語的なテクストの解釈で採り入れられてきたが、これら「特殊解釈学」を統合して、17世紀頃から解釈することの理論・規則を体系化する「一般解釈学」(独:allgemeine Hermeneutik)の動きが構築された。(「解釈学」という言葉が造られたのも17世紀になってからである)しかし、この時点でも、あくまで文献学や法学の予備学として考えられていた。その後19世紀の神学者・フリードリッヒ・シュライエルマッハーによって、体系的な一つの学問分野としてその地位が高められ、その後、歴史主義も影響し、ヴィルヘルム・ディルタイ、マルティン・ハイデッガー、ハンス・ゲオルグ・ガダマーといった近現代のドイツ語圏の哲学者らによって、哲学的問題の一つにまで高められ、ドイツ思想の流れの中に組み込まれて現代では哲学分野の一分野として認識されていることも多い。しかし歴史的背景からみてもわかるように、文学や、文化学、絵画や彫刻といった美術学の分野でも大いに普及しており、その意味は非常に多義的である。
[編集] 解釈学の応用領域
解釈学が特に大きな意味を持ってくるのは、テキスト、芸術作品、あるいは音楽作品の解釈に置いてである。神学では解釈学は、聖書解釈に際して用いられる。解釈学は、聖書の理解を対象とするわけである。ここで議論の対象となるのは、例を挙げれば、聖書の解釈学は、そもそもどこまで一般的な解釈学の特殊なケースとして理解できるかといったことである。
ハンス・ゲオルグ・ガダマーは、解釈学を普遍的に世界解釈(独:Weltdeutung)として理解している。人は、そこから解釈学的哲学というものを考えてみることができる。さらに重要な先駆者にして代表者としては、たとえば、ヴィルヘルム・ディルタイやマルティン・ハイデッガーの名が挙げられる。
さらにこの解釈学が応用される分野では、法律の条文の適用と解釈を巡って問題提起を行う法解釈学がある。判決は、法を文字通り理解しなくてはならないのだろうか、それとも、その意味を転用ということも許されるのだろうか?
学問論的には、解釈学的な問題への着手は、自然科学的な着手(「経験」)に対置できるのではなかろうか。ヴィルヘルム・ディルタイは、そこで自然科学と解釈学(精神科学、今日いうところの人文科学)を対置させている。自然科学は、原因(例えば、人間の死の原因を説明するように)を問うが、精神科学は、より包括的な意味合いで、何ものか(例えば、死とは何だろう、私はどのように死と係わるのだろうか)を問うのだというのである。
社会科学においては、主観的な解釈学と客観的な解釈学が区別される。前者が、「感情移入的な理解」、つまりある人間の個人的な状況の中に入っていく(共感と呼んでもよいのだが)のに対して、後者、客観的な解釈学は、ある行為もしくは状況の、動いていく動機や意図を理解しようとする。このことは、とりわけ、ある状況や出来事の文脈の中の特徴を取り出してそれを解釈する中で生じてくる。客観的な解釈学は、また社会学の質的研究の方法も提示しようとする。
[編集] 解釈学への批判
ただし、解釈学的言説がどれほど妥当性を持つか、控えめな言い方をすれば、その信憑性はどれほどのものなのかは、まだ議論を尽くされているとは言いがたい。解釈学的な言説を、チャールズ・サンダース・パースのいうような推論(アブダクション)のひとつとして捉えれば、推論形式の中に妥当な規則が含まれているかどうか、例えば、解釈学的な仮説からそれに先行する言説が、別のまだ知られていない認識対象の特徴を演繹したり、加えて経験的な吟味が付加されていなかと検討していくことはできるかもしれない。こうした妥当性を吟味検討していく仕組みは、とりわけ医学的な差異の診断学にあっては重要な役割を担っている。
[編集] 参考文献
- 渡邊二郎『構造と解釈』ちくま学芸文庫、1994年
- H. Seiffert: Einführung in die Hermeneutik. UTB 1992 (relativ knapp gehaltene, übersichtliche Einführung mit Schwerpunkt auf klassischen Bereichen angewandter Texthermeneutik: Theologie, Jura, Pädagogik)
- J. Grondin: Einführung in die philosophische Hermeneutik. WBG 1991 (historischer Überblick mit Schwerpunkt auf der Traditionslinie Schleiermacher - Dilthey - Heidegger - Gadamer)
- M. Jung: Hermeneutik zur Einführung. Junius 2001 (knappe systematische Einführung, auf neuere philosophische Fragestellungen v.a. im Zusammenhang mit Gadamers Hermeneutik Bezug nehmend)
- J.Hörisch: Die Wut des Verstehens, edition suhrkamp, erweiterte Nachauflage 1998, ein fulminant verfasstes Essay zur Kritik der Hermeneutik
- Kurt Eberhard: Einführung in die Erkenntnis- und Wissenschaftstheorie (2. Aufl.) Kohlhammer, 1999 (mit abduktionlogisch deduzierten Regeln für eine validitätsorientierte Hermeneutik)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- テキスト理解の規則と問題:解釈学ドイツ語サイト
- ラファエル・キャプロ・解釈学展望ドイツ語サイト
- 客観的解釈学研究会ドイツ語サイト(英語版あり)