西山事件
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西山事件(にしやまじけん)とは、沖縄返還協定を巡って1972年に外務省の機密文書漏洩の疑いで毎日新聞社政治部の西山太吉記者と外務省の女性事務官が逮捕された事件。沖縄密約事件、外務省機密漏洩事件ともいう。報道の自由について、いかなる取材方法であっても無制限に認められるかが裁判上の争点となったが、西山に懲役4月執行猶予1年、女性事務官に懲役6月執行猶予1年の有罪が確定した。
30年後、米国外交文書の公開で、当時の外務省・大蔵省高官の偽証と、検察官の証拠隠しが明らかになったため、国家賠償請求裁判が提起されている。
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[編集] 事件の経過
- 1972年3月27日 衆議院予算委員会で社会党の横路孝弘議員・楢崎弥之助議員が外務省極秘電信を暴露。
- 暴露されたのは1971年5月28日付けで愛知外相が牛場駐米大使に宛てた、愛知・マイヤー駐日大使会談の内容及び、同年6月9日付けで福田外相臨時代理と中山駐仏大使の間で交わされた井川外務省条約局長とスナイダー米駐日公使との交渉内容の合計3通。
- 上記電信では、返還に伴う軍用地の復元補償で、米国が自発的に払う事となっている400万ドルを実際には日本が肩代わりする旨の密約の存在が露呈した。
- これらは西山が横路に手渡したものだったが、結果として与野党の政争の具となる。誰が・なぜ・いかなる目的を持って機密文書が漏洩したのか、その背後関係に社会の関心が集まった。
- 1972年3月30日 外務省の内部調査で、女性事務官は「私は騙された」と泣き崩れ、ホテルで西山に機密電信を手渡したことを自白。
- 1972年4月4日 外務省職員に伴われて女性事務官が出頭、国家公務員法100条(秘密を守る義務)違反で逮捕。同日、同111条(秘密漏洩をそそのかす罪)で西山も逮捕される。
- 1972年4月5日 毎日新聞は朝刊紙上、「国民の『知る権利』どうなる」との見出しで、取材活動の正当性を主張。政府批判のキャンペーンを展開。
- 1972年4月6日 毎日新聞側は西山が女性事務官との情交関係によって機密を入手したことを知る。しかしこの事実が公になることは無いと考え、「言論の自由」を掲げてキャンペーンを継続。
- 1972年4月15日 起訴状の「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」というくだりで、被告人両名の情交関係を世間が広く知るところとなる。ちなみに、この起訴状を書いたのは当時東京地検検事の佐藤道夫(現民主党参議院議員)であった。
- 毎日新聞は夕刊紙上で「道義的に遺憾な点があった」とし、病身の夫を持ちながらスキャンダルに巻き込まれた女性事務官にも謝罪したが、人妻との不倫によって情報を入手しながら「知る権利」による正当性を主張し続けたことに世間の非難を浴び、抗議の電話が殺到。社会的反響の大きさに慌てた毎日新聞は編集局長を解任、西山を休職処分とした。
- 1974年1月30日 一審判決。女性元事務官は事実を認め、懲役6ヶ月執行猶予1年、西山は無罪の判決が下される。検察は西山について控訴。
- 1976年7月20日 二審判決。西山に懲役4月、執行猶予1年の有罪判決。西山側が上告。
- 1978年5月30日 最高裁判所が上告棄却。西山の有罪が確定。
- 最高裁は、報道機関が取材目的で公務員に対し国家機密を聞き出す行為が、正当業務行為と言えるかに付き「それが真に報道の目的から出たものであり、その手段や方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、正当な業務行為というべきであるが、その方法が刑罰法令に触れる行為や、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙する等、法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合には、正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びる。」とし、取材の自由が無制限なものではないことを示した。
[編集] 事件の影響
- 毎日新聞社の取材方法について国民的不信を買ってしまったことから、密約問題よりも男女関係のスキャンダルが注目されてしまった。
- 密約の追及を尻すぼみに終わらせてしまったこともあり、政府は今も密約の存在を認めていない。
- 事件後30年を経て「米国立公文書館保管文書の秘密指定解除措置」で公開された「ニクソン政権関連公文書」の中から密約の存在を示す文書が見つかった。しかし政府の対応は未だに上記の通り。
- マスメディアが金科玉条の如く唱えてきた「報道の自由」が、決して無制約なものではないということを自ら明らかにしてしまった。
- 事件から経営危機に陥った毎日新聞は、日本共産党と創価学会との「和解」(宮本委員長と池田会長の会見)を仲介することを手土産に創価学会機関紙「聖教新聞」の印刷代行を受注。以後、創価学会の影響を排除しきれなくなった。
[編集] 事件のその後
2002年、米国公文書館の機密指定解除に伴う公開で、日本政府が否定し続ける密約の存在を示す文書が見つかり、西山は「違法な起訴で記者人生を閉ざされた」などとして、2005年4月、政府に対し、損害賠償と謝罪を求めて提訴した。
2006年2月8日、対米交渉を担当した当時の外務省アメリカ局長吉野文六が、共同通信の取材に対し「返還時に米国に支払った総額3億2000万ドルの中に、原状回復費用400万ドルが含まれていた」と述べ、関係者として初めて密約の存在を認めた。また24日、朝日新聞の取材に対し、当時の河野洋平外相から沖縄密約の存在を否定するよう要請されたと証言。これに対し河野元外相は「記憶にない」とコメントした。
[編集] 事件を題材とした作品
- goo映画より『密約 外務省機密漏洩事件』
- 『密約 外務省機密漏洩事件』澤地久枝/岩波現代文庫(中公文庫版は絶版)
- 『運命の人』山崎豊子/文芸春秋(2005年1月より連載中)
- 『加治隆介の議 12巻』弘兼憲史/講談社ミスターマガジンKC
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 西山太吉国賠訴訟(藤森克美法律事務所)
- ビデオニュース・ドットコム(第256回)
- 天木直人のホームページ『メディアを創る』: 「元毎日新聞記者西山太吉氏の言葉」(2006年5月20日)
- 東京新聞: 「憲法は、今 沖縄「密約」の果てに 在日米軍再編の原点」上・“国家犯罪”再び問う(2006年5月1日)、中・『きれいごとすぎた』(2006年5月2日)、下・『米の言いなり』今も(2006年5月3日)
- 日刊ベリタ: 「沖縄返還密約『吉野文六証言』の衝撃と米軍再編」(2006年4月1日)
- 朝日新聞:別刷 be 連載 逆風満帆「元毎日新聞記者 西山太吉」(1)(2)(3)(4)
- 福島みずほ公式ホームページ「参議院予算委員会質問」: 「沖縄返還に関する密約問題について」(参・予算委員会、2006年3月13日)
- 北海道新聞: 「1971年 沖縄返還協定 『米との密約あった』」(2006年2月8日)
- 衆議院第68国会:予算委員会議事録第19号(1972年3月27日)