藤井康雄
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藤井康雄(ふじい やすお、1962年7月7日 - )は、広島県福山市出身。昭和末期から平成期(1980年代後半~2000年代前半)のプロ野球選手(外野手・一塁手)。現オリックススカウト。ファンからは『ミスター・ブルーウェーブ』の名で親しまれている。
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[編集] 来歴・人物
泉州高等学校(現・泉州学園飛翔館高校)、プリンスホテルを経て、1987年ドラフト4位で阪急ブレーブスに入団。社会人時代に全日本代表の4番を務めた実績もあり、入団当初からクリーンアップとして活躍。1989年には打率.292、30本塁打、90打点で初のベストナインに選出。門田博光、ブーマー・ウェルズ、松永浩美、石嶺和彦と共に新生ブレーブスの看板、ブルーサンダー打線の一角を担う。翌1990年には、自己最多の37本塁打、96打点をマークし、1993年にも2度目のべストナインに選出された。
以降は成績こそ低迷気味だったもの、選手会長を務め1995年からのリーグ2連覇(1996年には日本一)に貢献。1998年には、8年振りのシーズン30本塁打をマーク、一時はホームラン王を争った。 2001年9月30日のロッテ戦で、小林雅英からパリーグ新記録となる通算14本目の満塁ホームラン(同年9月26日に近鉄・北川博敏が打って以来の代打逆転サヨナラ満塁ホームラン)を打ち、王貞治の記録にあと1本と迫ったが惜しくも届かず、2002年シーズンを最後に現役を引退。
ここ一番で打ってみせる勝負強さと美しい放物線を描いていくホームランが魅力。人柄の良さもあり、オリックスOBの中で最も人気の高い選手である。1994年にシーズン最多安打をマークしてチームの顔となったイチローも、ことあるごとに「オリックスの象徴は星野(伸之)さんと藤井さん」と公言していた。
1990年、自己最高の成績を残したシーズンオフの「プロ野球ニュース」のオフ企画の故郷に錦を飾るコーナーで福山に帰った。
[編集] タイトル・表彰
- ベストナイン(1989年、1993年)
- ジュニアオールスターゲームMVP(1988年)
[編集] 通算成績
- 通算試合 1641
- 通算打率 .252
- 通算安打 1207
- 通算本塁打 282
- 通算打点 861