印相
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印相(いんそう、いんぞう)は、ヒンドゥー教および仏教の用語で、両手で示すジェスチャーによって、ある意味を象徴的に表現するものである。サンスクリット語mudraの漢訳であり、原語の意味は「印」である。日本語では印契、あるいは単に印とも言い、おもに仏像が両手で示す象徴的なジェスチャーのことを指す。
寺院その他で見かける仏像には、鎌倉大仏のように両手を膝の上で組み合わせるもの、奈良の大仏のように右手を挙げ、左手を下げるものなど、両手の示すポーズに決まったパターンがある。こうした両手で表わすポーズのことを印相といい、それぞれの印相には諸仏の悟りの内容、性格、働きなどを表わす教義的な意味がある。また、仏像がどの印相を結んでいるかによって、その仏像が何仏であるか、ある程度推測がつく。密教の曼荼羅などには、さまざまな印相を結ぶ仏、菩薩像が表現されているが、ここでは日本の寺院などで見かける代表的なもの数種類について略説する。
[編集] おもな印相
施無畏与願印(せむい よがんいん) 右手を挙げ、掌を礼拝者の方へ向け、指を伸ばした形を施無畏印といい、漢字の示す意味通り「恐れなくてよい」というサインである。一方、左手を下げ、掌を礼拝者の方へ向け、指を伸ばした形を与願印という(坐像の場合は、掌を上向け、膝上に乗せる)。これは信者の願いをかなえようというサインである。施無畏与願印は、如来像の示す印相として一般的なものの1つで、釈迦如来にこの印相を示すものが多い。与願印を示す左手の上に薬壷が載っていれば薬師如来である。ただし、薬師如来像には、本来あった薬壷の失われたものや、もともと薬壷を持たない像もある。また、阿弥陀如来像のなかにも施無畏与願印を表わすものがあり、印相のみで何仏かを判別することは不可能な場合が多い。図1は香港・ランタオ島の天壇大仏で、施無畏与願印を結ぶ。
転法輪印(てんぽうりんいん) 釈迦如来の印相の1つで、両手を胸の高さまで上げ、手振りで相手に何かを説明している様子を表わす。「説法印」とも言う。「転法輪」(法輪を転ずる)とは、「真理を説く」ことの比喩である。
定印(じょういん) 坐像で、両手を腹前(膝上)で組み合わせた形である。これは仏が思惟(瞑想)に入っていることを指す印相である。釈迦如来、大日如来(胎蔵界)の定印は両手の親指同士を接して、他の指は伸ばす(法界定印)。阿弥陀如来の定印は、親指と人差し指(または中指、薬指)で輪をつくる。
智拳印 (ちけんいん) 大日如来には金剛界大日と胎蔵界大日の2種類があるが、智拳印は金剛界大日に特有の印相で、左手の人差し指を伸ばし、これを右手の拳で包み込んだ形である。
[編集] 阿弥陀如来の印相
阿弥陀如来の印相には数種類あるが、いずれの場合も親指と人差し指(または中指、薬指)で輪をつくるのが原則である。
来迎印 施無畏与願印に似て、右手を挙げ、左手を下げ、それぞれの手の親指と人差し指(または中指、薬指)で輪をつくる。信者の臨終に際して、阿弥陀如来が西方極楽浄土から迎えに来る時の印相である。日本での作例としては、京都・三千院の阿弥陀三尊の中尊像などがある。浄土宗、浄土真宗の本尊像は基本的にこの印相である。図2は茨城県の牛久大仏で、来迎印を結んでいる。
転法輪印 両手を胸の高さまで上げ、親指と人差し指(または中指、薬指)で輪をつくる。日本での作例としては、京都・広隆寺講堂本尊像などがあるが、比較的珍しい印相である。当麻曼荼羅の中尊像もこの印相である。
定印 両手を胸の高さまで上げ、親指と人差し指(または中指、薬指)で輪をつくる。日本での作例としては、宇治の平等院鳳凰堂本尊像、図3の鎌倉・高徳院本尊像(鎌倉大仏)などがある。
東京都世田谷区の浄真寺(通称九品仏)には9体の阿弥陀如来像が安置され、それぞれが異なった9通りの印相を示している。これは「観無量寿経」に説く九品往生(くほんおうじょう)の思想に基づくものである。極楽往生のしかたには、信仰の篤い者から極悪人まで9通りの段階があるとされ、「上品上生」(じょうぼんじょうしょう)から始まって「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」に至る。浄真寺の九品仏の場合、阿弥陀如来の印相のうち、定印を「上生印」、説法印を「中生印」、来迎印を「下生印」とし、親指と人差し指(中指、薬指)を接するものをそれぞれ「上品」「中品」「下品」に充てる。なお、九品往生を9通りの印相で表わす教義的根拠は明確でなく、日本において近世になってから考え出されたもののようである。