芦乃家雁玉
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芦乃家雁玉(あしのやがんぎょく、本名・三井寒三郎、1894年-1960年12月30日)は漫才師。
東明幸三郎という俄役者を兄に持ち、1914年、落語家を志し、笑福亭吾竹に入門し、春の家雁玉を名乗る。1916年、低調だった漫才に落語ネタを持ち込み、新風を起こそうと、漫才師に転向する。相方を変えながら続けていたが、1928年、俄の女形出身の林田十郎とコンビを組み、吉本興業専属となる。「雁玉・十郎」コンビの洒落た軽口や独特な味のある掛け合いは人気を呼び、「エンタツ・アチャコ」に次ぐ人気を持ち、活躍した。一時、コンビを解消したこともあるが、戦後、復活し、1947年から始まった「NHK大阪」製作の公開演芸番組、『上方演芸会』の司会を務め、全国的な人気を得る。また、この番組は上方漫才のブームを引き起こし、戦後の漫才復興に大きな役割を果たした。
映画にも十郎とのコンビで出演し、1958年、十郎が脳出血で倒れた後も、単独でテレビ出演するなど活躍した。また、野球ファンとして知られ、南海ホークスの私設応援団長を務めたこともある。
[編集] 弟子
カテゴリ: 人名関連のスタブ項目 | お笑い芸人 | 1894年生 | 1960年没