臼淵磐
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臼淵 磐(うすぶち いわお、大正12年(1923年) - 昭和20年(1945年)4月7日) は、東京都青山生まれ、大日本帝国海軍の軍人、海軍兵学校71期。海軍大尉。
[編集] 人物
戦艦大和の哨戒長として乗艦。論理的な思考を持つ人物で、米国との戦争には否定的な見解を示していたと言われる。ハーモニカを吹く事が趣味で、持ち歩いていたノートには詩を書く等、文学を愛する一面もあった。 1945年4月7日、天一号作戦(菊水作戦)時、米軍の直撃弾が命中し即死する。享年21歳。
本来なら菊水作戦で戦死した無名の士官として世間から忘れ去られる存在ではあったが、戦後臼淵大尉が有名になった理由には、個人的に親交があり、菊水作戦に参加して生還した作家の吉田満(菊水作戦当時、海軍少尉)による処が大きい。著書『戦艦大和ノ最後』はベストセラーとなり、それと共に臼淵大尉の名前が一般に認知される様になった。
[編集] 『破れて目覚めよ』
天一号作戦出撃前の前日、最後の酒宴を行っていた海兵出身の若手士官と学徒出身の若手士官との間で、菊水作戦の意義に付いて激しく論争となった。「戦死する事は軍人としての誇りである」と主張する海兵出身者と「無駄死にである。死ぬ事の意義が解らない」と主張する学徒出身者との激論は激しく続き、あわや乱闘寸前となった所を治めたのが臼淵大尉であった。
「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚める事が最上の道だ 日本は進歩という事を軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義に拘って、本当の進歩を忘れてきた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずして救われるか 俺達はその先導になるのだ。 日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃあないか」(『戦艦大和ノ最期』より抜粋、原文カタカナ)
その言葉に一同は納得し、決意と覚悟を固めたという。
この発言は『戦艦大和ノ最後』に書かれたことで有名となったが、他の乗組員からは「本当にそんなことを言ったのだろうか」「血気盛んな若手将校がそんなことを言うのか」と疑問の声も挙がっている。
[編集] 関連本
- 敗れる前に目覚めよ(飯室勝彦著)
- 死ニ方用意(長谷川卓著)
- 戦艦大和ノ最期(吉田満著)