吉田満
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吉田 満(よしだ みつる、1923年1月6日 - 1979年9月17日)は、映画化、長時間テレビドラマ化もされた『戦艦大和ノ最期』などの作品で知られる日本の小説家である。
[編集] 生涯
1923年東京に生まれる。東京府立四中、旧制東京高等学校を経て1942年に東京帝国大学法学部に入学する。バッハの音楽を愛する学生であったという。1943年10月学徒出陣により海軍予備学生として武山海兵団に入団、1944年に海軍電測学校を経て少尉(予備少尉)に任官、12月戦艦大和に副電測士として乗艦、翌1945年4月、天一号作戦(菊水作戦)に参加するも生還する。高知県須崎の回天基地勤務を経て、同年9月両親の疎開先である東京都西多摩郡に復員。
同地にやはり疎開していた小説家吉川英治の勧めに従い『戦艦大和ノ最期』を執筆した(ほぼ半日で完成したともいう)後、日本銀行に入行する。その間、『戦艦大和ノ最期』は雑誌『創元』掲載の予定がGHQの検閲組織CCD(Civil Censorship Detachment)の検閲で全文削除され、口語体化するなど大幅に改変したものが細川宗吉の筆名で他誌で発表されるなどの紆余曲折を経て、1974年まで数度の改稿を重ねて今日の姿となっている。
なお、同書には誤りがあるとして(駆逐艦「初霜」の短艇指揮官の行動など)訂正を求められ、吉田もこれを了承したというが、彼が死去するまで遂に果たされる事はなかった。彼はこの作品について「自分の中の戦艦大和を綴ったものである」と述べていたという(従って必ずしも全てが事実ではないという事か)。
日本銀行にあってはニューヨーク駐在、青森支店長、仙台支店長、国庫局長などを歴任し、最終的には監事にまで昇進、その間も「戦中派」の一人として戦争責任問題等に独自の言論を展開した。1979年、56歳で死去。
[編集] 主要作品
- 『戦艦大和ノ最期』
- 『臼淵大尉の場合―進歩への願い』
- 『祖国と敵国の間』
- 『提督伊藤整一の生涯』 ISBN 4163343407
- 以上は『吉田満著作集・上』 (ISBN 4163408800) にも収録
- それ以外の作品は、同下巻 (ISBN 4163408908) に未発表稿などと共に収録
- 『戦中派の死生観』 (遺稿集) ISBN 4163354506 ISBN 4167349019