肥料換穀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
肥料換穀は台湾で戦後採用された経済、農業政策の一種。
肥料換穀政策は1948年9月に公布された「台湾省政府化学肥料配銷弁法」に依拠し、1950年より実行された。内容は農家が必要な化学肥料を穀物と現物交換するというものであり、農家が政府に穀物を提供すれば定められた比率に従い糧食局肥料運銷処が化学肥料を提供した。
当時の台湾での主要農作物は蓬莱米であった。蓬莱米の栽培には大量の化学肥料を必要とし、化学肥料を政府管理下に置くことで米の自由販売を抑制する目的を有していた。そのため交換のための穀物は低く、化学肥料の主要材料である尿素及び液体アンモニアは国家の独占事業であったため化学肥料は高く見積もられる傾向があった。しかし交換手続きが煩雑であり、また輸送の問題もあり、また農民の需要に政府の生産が応じきれない状況が頻発し、農業現場からは否定的な評価を受けた。
肥料換穀は農民を制御すること以外に、一種の隠匿税ろしての意味合いも有していた。しかしこの政策により穀物及び農地の価格を低水準で安定させ、余剰資本を工業発展に投資できる環境を実現させた点でも評価できる。この政策は1973年行政院により発表された「加速農村建設九大措施」により廃止されることとなった。