織田信勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
織田 信勝(おだ のぶかつ)
織田 信勝(おだ のぶかつ、元和9年(1623年) - 慶安3年5月17日(1650年6月15日))は江戸時代の大名。丹波柏原藩主。織田信則の長男。幼名は辰之助。官位は従五位下、上総介。
1630年、父信則の死去により、家督を相続した。1636年1月8日、江戸城石普請を命じられた。1639年12月晦日、従五位下上総介に叙任する。1640年9月24日、高槻城の守備を命じられる。藩政では佐治川の治水工事や新田開発を行い、丹波柏原藩の基礎を固めた。
1650年5月17日、28歳で死去した。同年9月1日、子供は3人の娘だけで、息子がいなかったため、丹波柏原藩は改易されて、天領となってしまった。一説には、死亡時に側室が妊娠しており、名門織田家ということで、男子出生の場合は家督相続が認められるはずだったという。出生したのは女子だったので改易になっという。なお、改易にともなって叔父信当が旗本に取り立てられた。墓所は恵照山成徳寺(兵庫県丹波市柏原)。なお、成徳寺に「織田信勝像」が伝わる。
死後、母親により織田神社(兵庫県丹波市柏原)に祭神「織田権現」として祀られ、命日の5月17日には毎年例祭が行なわれている。