織田作之助
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織田 作之助(おだ さくのすけ、男性、1913年10月26日 - 1947年1月10日)は小説家。
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[編集] 人物
大阪府大阪市南区生玉前町(現天王寺区上汐町4丁目27)に、仕出屋「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。旧制大阪府立高津中学校(現大阪府立高津高等学校)卒。第三高等学校文科甲類中退(現京都大学教養部)。劇作家を志すが、スタンダールに影響を受けて小説家へ。青山光二らと共に同人誌『海風』を創刊。昭和13年自伝的な処女小説(同時にのちの長篇「青春の逆説」の原型となる)「雨」を発表。武田麟太郎の注目を受ける。昭和15年「俗臭」が室生犀星の推薦で芥川賞候補作となる。太宰治、坂口安吾、石川淳とともに新戯作派、無頼派と呼ばれ、オダサクの愛称で親しまれた。映画監督川島雄三とは生前親交があり、川島とともに日本軽佻派を結成。川島は織田の作品を数本映画化している。主に短篇に出色のある作家で、その代表作に『夫婦善哉』、『競馬』、『世相』。長編では戦時中に発禁処分となった『青春の逆説』、評論では私小説を批判した『可能性の文学』がある。大阪にこだわり、大阪に愛された作家である。昭和22年(1947年)『土曜婦人』連載中の1月10日東京病院にて大量の喀血ののち永眠。
- 大阪千日前『自由軒』の「元祖・混ぜカレー」は「オダサク」が好んで食べたと言わる。
- 現在大阪文学振興会により『織田作之助賞』(年1回公募。2003年で20回目)が主催されている。
[編集] 作風
大阪の庶民の暮らし、特に放浪する人物を描いた。
[編集] 作品
[編集] 小説
- ひとりすまう
- 雨
- 俗臭
- 夫婦善哉
- 放浪
- 探し人
- 面会
- 子守歌
- 合駒富士
- 婚期はずれ
- 青春の逆説
- 人情噺
- 黒い顔
- 許婚
- 写真の人
- 雪の夜
- 家風
- 航路
- 立志伝
- 動物集
- 世間胸算用
- 秋深き
- 天衣無縫
- 五代友厚
- 月照
- 勧善懲悪
- 素顔
- 漂流
- 大人の童話
- バーナー少佐の手記
- 船
- 事始め
- 婦人
- 周囲
- わが町
- 社楽
- 眼鏡
- 帽子
- 聴雨
- 勝負師
- 道
- 大阪の指導者
- 清楚
- 異郷
- 武家義理物語
- 姉妹
- 木の都
- 蛍
- 電報
- 高野線
- ニコ狆先生
- 猿飛佐助
- 道なき道
- 十五夜物語
- 髪
- 予言者
- 見世物
- 表彰
- 奇妙な手記
- 船場の娘
- 訪問客
- 注射
- 昨日・今日・明日
- アド・バルーン
- 私設渉外局
- 神経
- 世相
- 女の橋
- 競馬
- 夫婦善哉後日
- それでも私は行く
- 鬼
- 四月馬鹿
- 夜の構図
- 雨の都
- 実感
- 郷愁
- 文楽の人
- 湯の町
- 二十番館の女
- 薬局
- 土曜夫人
- 冴子の外泊
- 好奇心
- 中毒
- 怖るべき女
- 死神
- 大阪の女
- 夜光虫
- 影絵
- 妖姫伝
- 妖婦
- 六白金星
- 饗宴
- 蚊帳
- 妻の名
- 星の劇場
- 報酬
- 民主主義
- ヒント
- 経験派
- 旅への誘い
- 十八歳の花嫁
[編集] 評論
- 可能性の文学
[編集] 戯曲
- 落ちる
- 饒舌
- 朝
- モダンランプ
- 私設人事相談所
- 夜光虫
- 初姿
[編集] 関連書籍
- 織田作之助研究(河原義夫編、六月社書房)
- 資料織田作之助(関根和行著、オリジン出版センター)
- 生き愛し書いた 織田作之助伝(大谷晃一著、講談社)
- 織田作之助文藝事典(浦西和彦編、和泉書院)
- 虹の天象儀(瀬名秀明、祥伝社)※織田作之助を扱ったSF小説