竹田儀一
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竹田 儀一(たけだ ぎいち、1894年3月24日 - 1973年4月30日)は日本の政治家。
石川県出身。1918年京都帝国大学法律科を卒業後、鈴木商店に入社し、支配人金子直吉の秘書を務めた。その後弁護士となり、さらに大阪市会議員となる。また樺太ツンドラ工業、大聖寺商業等各社の社長を歴任する。1930年の第17回衆議院議員総選挙に旧大阪2区から立憲民政党公認で立候補し当選。以後通算4回当選する。戦前は同郷の永井柳太郎拓務大臣秘書官などを務めた。
戦後は1946年の総選挙に旧石川全県区から日本自由党公認で当選するが、のちに民主党に鞍替えし、同党幹事長となる。1947年に片山内閣で国務大臣(地方財政委員会委員長)、1948年芦田内閣発足に当たっては組閣参謀を務め、自らも厚生大臣として入閣するが、炭鉱国管疑獄で嫌疑をかけられ政界を引退した。その後は神鋼商事社長などを務める。