竹本義太夫
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竹本 義太夫(たけもと ぎだゆう、慶安4年(1651年) - 正徳4年9月10日(1714年10月18日))は、江戸時代の浄瑠璃太夫、義太夫節の開祖である。初期には清水理太夫と名乗る。本名五郎兵衛。
摂津国(大坂)に生まれる。農家の出身。貞享元年(1684年)、大坂道頓堀に竹本座を開設し、1683年に刊行された近松門左衛門・作の『世継曽我』を上演した。翌年より近松門左衛門と組み、多くの人形浄瑠璃を掛けた。
近松が竹本座のために書きおろした最初の作品は『出世景清』。竹本義太夫以前のものを古浄瑠璃と呼んで区別するほどの強い影響を浄瑠璃に与えた。厳密には、この『出世景清』以前が古浄瑠璃、『出世景清』以降が当流浄瑠璃と呼ばれる。1714年に死去、享年63。