竹中重利
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竹中 重利(たけなか しげとし、1562年(永禄5年)-1615年12月6日(元和元年10月16日))は、戦国時代の武将・大名。豊後国府内藩の初代藩主。竹中重光の子。豊臣秀吉のもとで働いた名軍師・竹中重治の従兄弟に当たる竹中一族。官位は従五位下。伊豆守。名は竹中隆重と呼ばれることもある。
1579年、半兵衛重治が死去した後に独立し、直に秀吉に仕える。所領は美濃国長松3000石を領していた。娘が豊臣秀次の側室となって、男子をもうけている。小田原征伐には馬廻として参陣した。1594年、豊後国東郡高田で1万3000石を領し、大名として諸侯に列した。朝鮮出兵では目付として参陣する。1600年の関ヶ原の戦いでは、はじめ西軍に与して近江国瀬田橋の守備や丹後国田辺城(舞鶴城)攻めに務めたが、後に黒田如水に誘われ、東軍に寝返ったため、所領を安堵されて豊後府内に移された。大分府内城の大改修を行い、現在の規模とした。
1615年10月16日、54歳で死去し、後を子の竹中重義が継いだ。