秋吉台
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秋吉台(あきよしだい)は、山口県美祢郡の美東町と秋芳町にわたって広がる日本最大のカルスト台地である。面積は約130平方キロメートル。厚東川より東部は、1955年に国定公園(秋吉台国定公園)に指定された。
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[編集] 概要
地表には多数のドリーネ(窪地)が見られ、地下に秋芳洞、大正洞、景清洞など450を超える鍾乳洞がある(近年も新しい洞窟が発見されている)。
秋吉台は、厚東川渓谷により東部と西部に大別される。国定公園に指定されているのは東部であり、秋吉台自然科学博物館や秋吉台キャンプ場、秋吉台ユースホステル、秋吉台道路など、学術研究や観光用の施設が数多く整備されている。この東部一帯は広大な草原地ともなっており、草原を維持するために、毎年2月下旬に大規模な山焼きが行われている。
第二次世界大戦中には、日本軍の演習地となったこともある。終戦後もアメリカ軍の空襲爆撃演習地とする計画があったが、反対運動が起こり、特別天然記念物への指定などを経て計画は撤回された。
[編集] 成立
約3億5千万年前(古生代石炭紀)、古太平洋上に海底火山が生じ、海面近くのその頂上に珊瑚礁が形成された。この海底火山は複数生じ、秋吉海山列と名付けられている。その後、太平洋プレート運動により北西へ移動し、プレートは海溝から地球内部へ沈降していったが、秋吉海山列は付加体としてユーラシア大陸の一部となった(約2億5千万年前)。このとき、珊瑚礁だった部分は、化石化して石灰岩となっていた。
しばらく、秋吉海山列からなる付加体は、海底下の地中深くにあったが、約2億年前に大規模な地殻変動(秋吉造山運動)が起こり、付加体は地上に押し上げられるとともに大きく褶曲し、地層の上下が逆転する逆転構造を呈することとなった。(秋吉台の地質構造については、複数の解釈が提出されており、定説を見るに至っていない。)
その後、地表に現れた石灰岩からなる付加体は、雨水による浸食を受けて、多数のドリーネや鍾乳洞を形成し、現在のような石灰岩台地となった。
[編集] 文化
1989年より作曲家細川俊夫によりこの地域で10年間に渡り開催された秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバルは、日本の現代音楽史に大きな影響を与えた。
1998年に建築家磯崎新の設計で秋吉台国際芸術村が設立されたが、秋吉台音楽セミナーの撤退により事実上1年しか使われなかった。現在では小規模の地元の音楽会や、民間団体の宿泊研修施設として用いられている。
[編集] その他
- 2004年10月29日に開催された美祢市・秋芳町・美東町の合併協議会において、新市名として『秋吉台市』が『美祢市』を押さえて最多得票を得た。これは、合併協議において美祢市に主導権を握られることに危惧を覚えた秋芳町と美東町の合併協議会委員の意向によるものと推測されるが、このことを引き金として合併協議が紛糾。ついには合併特例法期限内での合併を断念し、合併協議会は休止に追い込まれた。その後合併協議が再開され、改めて新市名の選定が行われた結果、『美祢市』が新市名に決まっている。
- 秋吉台にある3つの鍾乳洞、秋芳洞、景清洞、大正洞 は、秋吉台地下水系という名称で2005年11月、ラムサール条約登録湿地となった。
[編集] 関連項目
- 秋芳洞
- 景清洞
- 大正洞