福州
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福州(ふくしゅう, Fuzhou)は中華人民共和国福建省の省都である。榕城と称される歴史の古い町で、国家歴史文化名城に指定されている。面積121,525平方キロ、人口約590万人。明清時代には琉球館が設置され、琉球王国との交易指定港であった。
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[編集] 地理
武夷山に源を発する閩江下流に位置する港湾都市である。榕樹というガジュマロの木の一種が市域に多数有ることから榕城とも呼ばれている。
[編集] 歴史
新石器時代からこの地に住む閩人の領域で、戦国時代中期に越が楚に滅ぼされ、越人が多く閩地に流入し、閩越と呼ばれるようになった。紀元前220年閩越を征服した秦始皇帝はこの地に閩中郡を設置した。秦末、群雄が割拠すると、閩越王無諸が反乱を起こし、後に劉邦に属した。このため、無諸は漢によって閩越王に封じら、東治(福州の古名)はその都となった。
晋代には建安郡の郡城となり、唐代の725年福州都督府が設置されて、福州の名が固まった。唐末には王審知が閩国を建国して、福州に都した。五代十国のひとつである。この国は海外貿易などで大いに発展し、王延鈞の代には大閩国と号し、福州を長楽府と改称した。宋代には福州に復し、刺史が置かれた。元代に福建行中書省が設置され、最初は泉州、まもなく福州に長官が駐在した。
明代には福州に市舶司が置かれ、朝貢国である琉球王国の指定入港地となり、琉球館が置かれている。明末には南明の都が置かれたこともある。明清時代には福州は福州府治として福建の中心であった。アヘン戦争後の南京条約で福州は対外開港し、茶の輸出などで発展した。倉山には多くの外国領事館が置かれた。近代の福建は中国海軍や近代造船業の発祥地であり、清仏戦争ではフランス海軍の攻撃を受けた。
1984年対外開放地区に指定され、同時に国家歴史文化名城にも指定された。2006年現在では経済開発区に指定されている。
[編集] 行政区画
- 市区:鼓楼区、台江区、倉山区、馬尾区、晋安区
- 県級市:福清市、長楽市
- 県:閩侯県、連江県、羅源県、閩清県、永泰県、平潭県
[編集] 軍事
連江県には南京軍区に属する第31集団軍第86師団司令部が置かれ、福州港は寧波に司令部を置く中国東海艦隊の重要な基地である。
[編集] 教育
- 福建大学
- 福建師範大学
- 福建農業大学
- 福州外国語大学
- 福州大学
[編集] 姉妹都市
[編集] 外部リンク
- 福州市公式サイト(中国語)
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