福井ミカ
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福井ミカ(ふくいみか)。生年月日不詳。加藤和彦の元夫人で、伝説のロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」のボーカル、コーラス(当時は加藤ミカ)。日本では『ジャラン・ジャラン』というセルフ・プロデュース作品を1994年に世に出し、その才能を改めて実証した。
もともとは加藤和彦の大ファンで、ある日、楽屋に押しかけて、いきなり「加藤さん、ギター教えて下さい!」と迫ったという。その後、恋仲になり、結婚。加藤がロックバンドを編成する際に、ボーカル、コーラスとして参加。「サディスティック・ミカ・バンド」の結成に至る。
バンド名の由来はジョン&ヨーコの「プラスティック・オノ・バンド」をもじったもの。
「ボーカルに難あり」と言われながらも、「タイムマシンにお願い」ではメインボーカルを担当。それなりにバンドの顔としての地位を築いたとの説もあるが、バンドの陰のリーダーだったとの説もある(後者の説については『ジャラン・ジャラン』が有力な裏付けとなっている)。
伝説のアルバムとなった「黒船」のプロデューサークリス・トーマスと、イギリスツアー中に恋愛関係になり、その後加藤と離婚。ミカ・バンドも解散した。ここに物事に執着心がない加藤和彦の性格が出ている、という説もある。
クリス・トーマスがプロデュースしたバッドフィンガーの『Wish You Were Here(素敵な君)』収録の「Know One Knows(誰も知らない)」での日本語のスポークン・ワーズもミカが担当した。
一時期は、作詞家として、織田哲郎の楽曲を提供した。
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[編集] エピソード
- バンド名「サディスティック」の由来
- 料理を作る際の包丁さばきがあまりに「サディスティック」だったため、亭主である加藤が相当難儀し、それをそのままバンド名にした。
- YMOのアルバム『増殖』の「Nice Age」の中でニュース速報を読んでいるのは福井ミカである。ミカは1980年に公演のため来日したWingsと同行し帰日。しかしこのときポール・マッカートニーがドラッグを所持していたため拘置(のちに強制退去)され公演は中止になった。予定されていたYMOとのセッションも実現しなかった。『増殖』の録音中だったYMOがなにかメッセージをということで、ニュース速報という形でポールの妻リンダのメッセージがミカのナレーションで入れられた。この中の「22番」というのはポールの拘置中の番号で、「Coming Up Like A Flower」は同年4月になって発表されたポールのシングル「カミング・アップ」で歌われるフレーズである。
[編集] 離婚・解散の影響
- 残されたメンバー(今井裕、後藤次利、高中正義、高橋幸宏)は急な解散の後、とりあえずは急ごしらえで「サディスティックス」として活動した。伝説として語り継がれる矢沢永吉のソロ初の日比谷野外音楽堂ライブのバックを務めるなど、それなりに活躍したが、ミカ・バンドほどのインパクトを与えることはできなかった。
[編集] 音楽プロデューサー兼作曲者兼作詞者としての作品
- 『ジャラン ジャラン』
[編集] 著書
- ラブ&キッス イギリスは暮らしの達人
- ミカのチャンス・ミーティング(中村俊夫との共著)