神奈川県立相模台工業高等学校
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神奈川県立相模台工業高等学校(かながわけんりつさがみだいこうぎょうこうとうがっこう)は、神奈川県相模原市にあった県立の高等学校である。通称「台工」。
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[編集] 沿革
- 1963年 開校。
- 1993年 全国高校ラグビー大会初優勝。
- 1994年 全国高校ラグビー大会2連覇。
- 2005年 神奈川県立相模原工業技術高等学校と合併して神奈川県立神奈川総合産業高等学校となり、2004年に募集を停止した。
[編集] 学科
- 機械科
- 化学科
元々は化学工学科と呼ばれ、工業高校の学科再編へ化学科になった
- 電気科
[編集] 所在地
相模原市文京一丁目11-1(跡地は現神奈川総合産業高等学校になっている。)
[編集] 豆知識
- ちなみに通称「台工(だいこう)」とあるとおり、台工に馴染んでいない者や知らない者がこの高校の関係の人物から電話を受け取った時「もしもし台工の○○ですが」と言われると何の「代行」か考えてしまう。
- 全国高校ラグビー大会(花園競技場)で、2度日本一になった割には知名度が低く他校で「台工」と言うと決まって「相模工大付属」ですかと言われた。
- 1971年に赴任した松沢教諭が鍛え上げ、1979年に全国大会初出場したラグビー部は最盛期には100人以上部員がいた。その当時、学校定員が1200人だったのだから、異様に多かった。しかし、1994年松沢監督が勇退してからは成績は芳しくなく、台工として最後に試合をした2004年には部員数19人であった。ラグビー部が着ていた黒ジャージーは、神奈川大会決勝と全国大会でしか着れないというもの。
- 台工は陸上部も強く、OBには臼井淳一がいる。1975年に男子三段跳びで15.64mの記録を出す。当時の高校歴代2位で2006年現在でも高校歴代12位、県高校記録である。後に順天堂大学に進学、1979年に8.10mの記録(日本記録)を出し、現在でも日本歴代6位の記録。1980年にはモスクワ五輪・走幅跳の日本代表になるが日本代表団は不参加。1984年のロサンゼルス五輪(7位入賞)と1988年のソウル五輪(予選落選)でも走幅跳の日本代表に選ばれる。ロス五輪の際には壮行会を学校でもやった。
- 皆男子校と勘違いしているが、「共学」である。
- 定時制の電気科と機械科があり、定時制の給食のために学食があった。昼営業もされていた
- 工業高校特有なのか、普通科・機械科・電気科・(電子科)・化学科・体育教官・定時制と職員室が7つもあった時代もある