石川一家
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二代目石川一家(いしかわいっか)は、佐賀県佐賀市に本拠を置いたヤクザ組織。 佐賀県及び福岡県を勢力範囲とした。
佐賀一円に覇を唱えた上瀧一門(親分・上滝 英)が上瀧建設として渡世から足を洗った後、1968年6月頃、石川清康、秀康、芳春の兄弟が、佐賀市周辺の不良グループを集めて石川組(いしかわぐみ)を結成。 1976年頃、石川一家(いしかわいっか。総長・石川清康)に改称した。
暴力派をもって知られるが、地元での抗争に、「九州最凶の男」として知らぬ者のない筬一家の総長・山口〔名不明〕が手首を落として仲裁に入ったのは余りにも有名である。
1993年2月、佐賀県公安委員会から指定暴力団に指定されたが、1995年10月までに宅見組(組長・宅見 勝)に加入して五代目山口組に傘下入りしたため指定を取り消された。
その後、実弟・石川芳春が2代目を継承したが、2001年1月14日に佐賀県諸富町の国道で信号待ち中の車を銃撃され死亡した。
[編集] 歴代総長
- 初代:石川清康(二代目宅見組副組長)
- 二代目:石川芳春(二代目宅見組舎弟頭補佐。清康の実弟)
- 二代目会長:山口 侃
- □代目総長:池永正弘