白鳳三山
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白鳳三山(はくほうさんざん)とは、福島県大沼郡会津美里町にある観音山・羽黒山・岩崎山(向羽黒山)の三山の総称である。三山といってもそれぞれの山は横一列に繋がっており、一つの山と解釈しても問題はない。観音山には馬頭観音、羽黒山には羽黒神社が祀られている。最高点は向羽黒山山頂で標高409m。中腹から山麓にかけては公園になっており、また、車道や遊歩道も整備されており、ハイキングに最適な山といえる。また、この山が所在する本郷地区(旧会津本郷町)は「本郷焼」の産地として有名であり、登山口付近には会津本郷焼資料館がある。
[編集] 向羽黒山城跡
- 白鳳三山の最高峰・岩崎山(向羽黒山)一帯は、向羽黒山城と呼ばれる山城跡である。城の規模は東西1.4kmで南北1.5km。2001年(平成13年)には国史跡に指定された。築城者は芦名盛氏で、1568年(永禄11年)に完成した。城は、岩崎山山頂の本丸(実城)跡を中心に現在公園になっている二の丸跡、三の丸跡、伝盛氏屋敷跡などの郭をはじめ、竪堀や空堀、虎口、石塁の跡などの戦国山城の名残が城跡内各所に残されている。城の東側直下を阿賀川が流れており、さらには会津盆地一円を望むことができることからまさに天然の要害といえる。
- 城は芦名盛氏の隠居城として建てられたと言われているが、実際には東を流れる阿賀川や東部分の崖などの天然の要害に加えて土塁や堀などの防御施設がいたるところに造営されており、隠居城とは到底言い難い。葦名氏の本城である会津黒川城(後の会津若松城)の「詰の城」的な役割を担うことが築城の本当の目的であるといえる。
- 葦名氏は1589年(天正17年)の摺上原の戦いで伊達政宗に敗れて滅亡し、その後に会津領主となった伊達政宗や蒲生氏郷、上杉景勝によって、城が一部改修されている。廃城は1601年(慶長6年)といわれ、関ヶ原の戦いでの上杉軍の敗戦に伴うものである。