田原藩
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田原藩(たはらはん)は、三河国渥美郡(現在の愛知県東部・渥美半島)にあった譜代大名の藩である。
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[編集] 藩史
石高は10,000石のち12,000石。本拠は室町時代末期に築かれた田原城。はじめ戸田氏、後に三宅氏が入る。
関ヶ原の戦いの後の1601年(慶長6)に戸田尊次が1万石で入封されて成立した。この戸田氏は、15世紀末に田原城を築城し、3代にわたって渥美半島一帯を支配した戸田氏の傍流である。3代を経た後、戸田氏は肥後国天草へ転封となり、1664年(寛文4)に三宅康勝が1万2千石で三河国挙母(現在の愛知県豊田市)より入封した。藩政期を通して財政難に苦しむが、11代三宅康直の代には家老に登用された渡辺崋山(登)農政家の大蔵永常などとともに藩政改革、財政改革を行った。また、崋山の死後には村上範致が軍制改革を行い、大砲の鋳造や、洋式砲術の導入を推進した。明治の廃藩置県では額田県に編入され、後に愛知県の一部となる。
藩校に1810年に開かれた成章館。
[編集] 歴代藩主一覧
[編集] 戸田氏(1601年~1664年)
譜代 1万石
[編集] 三宅氏(1664年~1871年)
譜代 1万2千石
[編集] 関連項目
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