灯火管制
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灯火管制(とうかかんせい)とは、戦時において民間施設および軍事施設・部隊の灯火を管制し、照明の使用を制限することである。それにより、敵が状況を把握することを防ぎ、また夜間空襲もしくは夜間砲撃などの目標となることをなるべく防ぐことを目的としている。
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[編集] 部隊における灯火管制
軍の部隊において、灯火管制は一般的に行われている。夜間に照明を行うことは、敵に対し、自部隊の位置を暴露することになるためである。具体的な方法としては、車両のヘッドライトにカバーを付け減光する、ライトを下向きに設置する、赤色灯を用いるなどである。なお現代では、暗視装置の発達により、通常のライトを使用する機会も減少しており、明りを全く用いずとも作戦が行えるようになってきている。
[編集] 民間施設における灯火管制
[編集] 第二次世界大戦
民間施設における灯火管制としては、特に第二次世界大戦におけるイギリス、ドイツ、日本などの例が知られている。主に都市への夜間空襲を防ぐために用いられた。灯火管制を行わない場合、敵機から都市の位置がはっきりと視認できるようになり、精度の高い都市への空襲を行えるようになってしまうためである。方法として、窓を塞いだり、照明に覆いをつけたりした。 灯火管制下にある中で、明かりが漏れてしまった為にその家が標的になったという証言や記録も残されている。
しかし、これらの灯火管制は、第二次世界大戦において既に効果が低かったとされる。日本を爆撃したアメリカの爆撃機B-29は高性能のレーダーを搭載していたので、それを頼りに都市の市街地や目標物を爆撃することができ、イギリスを爆撃したドイツの爆撃機He 111やドイツを爆撃したイギリスの爆撃機ランカスターはレーダーの発達していない時期から無線方位測定機器を用いて夜間爆撃を行った。これらは精度に欠けていたため、アメリカは戦闘機P-51やB-29が偵察機として先導し、イギリスは戦闘機デハビランド モスキートを誘導機として運用した。
[編集] 湾岸戦争
1992年の湾岸戦争の際のバクダット市内では、厳重な灯火管制が敷かれたが、アメリカ軍の暗視装置や、GPS誘導技術などによる精密爆撃は著しく精度が高っており、ほとんど無意味なものであった。この教訓のためか、2003年のイラク戦争時には、積極的な灯火管制は行われなかったという。