潜水艦搭載偵察機
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潜水艦搭載偵察機(せんすいかんとうさいていさつき)は、大日本帝国海軍が巡潜甲及び乙型に搭載した偵察機3機種を説明する。
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[編集] 搭載目的
潜水艦は誕生当時、単艦または少数の編成での通商破壊作戦等に運用されたが、艦そのものとしての索敵能力には自ずと限界があった。それを解消する手段として、航空機を搭載することが研究され、最初はイギリス海軍が、後にアメリカ海軍やイタリア王国海軍が実験、フランス海軍が搭載可能な潜水艦を建造するも、最終的に各国とも搭載は取りやめとなる。 大日本帝国海軍は、減戦作戦の一環として「潜水艦による敵艦隊攻撃」を想定しており。潜水艦の索敵力強化のため、潜水艦艦隊旗艦に多数の偵察機を搭載した艦を計画すると共に(のちの大淀)、潜水艦に小型水偵を搭載することを実験の上実現させた。
これらの偵察機は大戦初期には偵察任務のみならず、爆撃任務にも使用されるなどよく活躍するも、その劣性能から次第に使用されなくなる。又、本機の発想の延長として、伊四〇〇型潜水艦と晴嵐が誕生する。
[編集] 艦載機
[編集] 九一式水上偵察機
イギリス海軍が採用したパナール・ペト(又はペイト)水偵を海軍航空技術廠が国産化した機体で、単座・複葉の双フロート機。本機は格納庫に分解して搭載、帰還後は収容となっているが、実際はそのまま放棄されることになったという。カタパルトの実験に使用されるなど、その後の機体や潜水艦の開発に貴重なデータを残す。
- 速力233km/h
[編集] 九六式小型水上偵察機
渡辺鉄工所(後の九州飛行機)潜水艦搭載用の小型水上偵察機。先の九一式が他機種からの転用に対し、本機は最初から試作・完成した機体である。複座・複葉の双フロート機。
- 速力:233km/h
- 航続距離:732㎞(最大)
- 主要兵装:7.7mm機銃×1
- 乗員数:2名
- 生産数:33機
[編集] 零式小型水上偵察機
昭和12年に海軍航空技術廠に対して試作を指令、昭和15年に正式採用。同年に採用された愛知航空機の零式3座水上偵察機と区別する為、特に「小型」と呼称する。潜水艦用水偵として初の単葉機である。昭和17年9月にはアメリカ本土空襲を行った。以後、現在に至るまで、この低速で貧弱な羽布張りの小型機こそが、アメリカ本土を攻撃する事に成功した史上唯一の外国軍用機なのである。
- 最高速度:246km/h
- 航続距離:882㎞
- 武装:7.7ミリ機銃×1、72キロ焼夷爆弾×2(アメリカ爆撃時に使用)
- 乗員数:2名
- 総生産機数:126機