淘綾郡
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古代の律令制下では余綾郡(よろぎぐん・よろぎのこほり)と表記された。相模国中部、大磯丘陵南側の相模湾沿岸部をその領域とする。近世以降は淘綾郡と表記することが多くなり、明治政府による郡編制の際にもこの表記が採用された。
[編集] 沿革
- 郡衙は大磯町の国府本郷付近と推定されている。
- 1878年(明治11年) 郡区町村編制法により行政区画としての淘綾郡が編成された。郡役所は「淘綾大住郡役所」として当郡内の大磯町に置かれ、大住郡とともに管轄した。
- 1889年(明治22年)4月1日の町村制施行の時点で1町3村を数えた。現在の行政区画では概ね大磯町、二宮町、平塚市の一部の区域に相当する。
- 1896年(明治29年)3月26日 大住郡と合併して中郡となる。