海原治
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海原 治(かいはら おさむ、1917年-2006年)は、日本の防衛庁官僚、軍事評論家。本籍は徳島県であった。
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[編集] 来歴
- 第一東京市立中学校・第一高等学校を経て、1939年に東京帝国大学法学部を卒業し、内務省入省。入省同期に後藤田正晴がいた。内務省大臣官房文書課勤務を経て、太平洋戦争勃発と前後して、1940年2月、陸軍第11師団歩兵第43連隊に入営、経理部幹部候補生になり陸軍主計大尉として終戦を迎える。
- 1946年8月警視庁に異動し交通課長、同生活課長を歴任。1947年の内務省解体後、1948年より国家地方警察本部に移り東京警察区本部警備部長として自治体警察との調整、同保安課長として当時武装路線をとった日本共産党対策、同企画課長として警察法改正を、それぞれ担当する。
- 警察予備隊の創設に際しては国警本部より出向でその人事を担当、1952年に同隊後身の保安庁に転じ、後の防衛庁・自衛隊の創設に関わる。
- 防衛庁では、防衛局第一課長、防衛審議官、防衛局長や官房長を歴任、当時平均7ヵ月で交代する防衛庁長官たち尻目に権勢を揮い、”海原天皇”とも形容された。
- 次期事務次官の待機ポストであった防衛庁官房長在任中の1967年、支援戦闘機F-104の後継機選定を巡る政争に巻き込まれ官房長を更迭される。その後、安全保障会議の前身の国防会議事務局長に転任、以後5年間務めた。
- 退官後は軍事評論家として活躍、『日本の国防を考える』など国防に関する著書多数で、また集英社刊イミダスにおける”国防”に関する章の編集を長く務めた。2006年10月21日死去、享年89歳。
[編集] 余談
- 山崎豊子の小説『不毛地帯』に、防衛庁で権勢を揮う内務官僚上がりの”貝塚官房長”が登場する。海原がモデルとされるも、小説内での貝塚の容姿は”ヌルリとした禿頭”であるが、実際の海原はロマンスグレーであった。