沢田敏男
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沢田 敏男(さわだ としお、1919年5月4日 -)は日本の農学者。工学者。京都大学名誉教授。元総長。専門は農業土木工学。文化勲章受章者。
灌漑ダムや干拓施設に関する理論的研究を行った。特に、ロックフィルダムの変形や透水の諸問題を解決する有用な設計法を多数確立したこと、ロックフィルダムとコンクリートダムとを隙間なく組み合わせる設計法を確立したことなどが顕著な業績である。これらの工法は、各地のダム建設時に適用された。
京都大学総長としては、留学生受け入れの拡充など「国際化」路線を確立し、「将来計画検討委員会」発足でその後具体化する京大改革構想の策定に着手したことが注目される。一方、1970年代以後、竹本処分(1977年)を経てなお一定の勢力を維持し「日本のガラパゴス」と称された京大学生運動に対しては、「学生寮の正常化」政策を進めることでその支持基盤を弱めようとした。すなわち、1982年12月、評議会において吉田寮廃寮のための「在寮期限」(1986年3月31日)の設定を取り決めたが、寮自治会の反発によっていっそう事態を混乱させる結果となり、この問題の解決は後任の西島安則総長時代に持ち越されることとなった(京都大学吉田寮参照)。