沖縄県立沖縄工業高等学校
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沖縄県立沖縄工業高等学校(おきなわけんりつおきなわこうぎょうこうとうがっこう)は、沖縄県那覇市松川にある県立の工業高等学校である。沖縄県の工業系高校では最古、最難、かつ最大規模の学校。那覇工業高等学校は浦添市勢理客(じっちゃく)にある。
略称は「沖工(おきこう)」、単に「工業」とも。
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[編集] 沿革
- 1902年6月15日 首里区立工業徒弟学校として首里区字当蔵(旧小禄殿内)で開校。開設学科:木工科(指物)、漆工(?漆)
- 1912年4月1日 木工科に建築部を設置
- 1914年4月1日 沖縄県立工業徒弟学校となる
- 1921年6月13日 沖縄県立工業学校となる。建築科を設置
- 1945年4月 第二次世界大戦、米軍の空襲により校舎全壊
- 1948年4月1日 沖縄民政府立工業高等学校として那覇市安謝で開校。設置学科:本科(3年課程)機械科・電気科・建築科。研究科(1年課程) 機械科・建築科
- 1952年4月1日 琉球政府設立により、琉球政府立工業高等学校となる。木材工芸科新設
- 1952年12月 現在地(那覇市松川200番地)への校舎移転完了
- 1955年4月1日 定時制課程設置(機械科・電気科・建築科)
- 1956年4月1日 漆工科新設
- 1957年4月1日 土木科新設
- 1958年4月1日 女子木材工芸科新設
- 1959年4月1日 自動車科新設
- 1963年4月1日 工業化学科新設。木材工芸科・漆工科・女子木材工芸科を廃し、工芸科を設置する。(工芸科を木材工芸・漆工・デザインの3コースに分ける)
- 1964年4月1日 琉球政府立沖縄工業高等学校に改称(電気科に電気コース・電子コースを設置)
- 1966年1月28日 電子科新設(電気科電子コースを電子科に改称)
- 1971年4月1日 インテリア科、デザイン科を新設。(工芸科の木工・漆工・デザインの各コースは廃止)
- 1972年4月1日 自動車科・電気科廃科
- 1972年5月15日 日本復帰に伴い、沖縄県立沖縄工業高等学校となる
- 1982年9月30日 学校住居表示変更:那覇市松川3丁目20番1号
- 1985年3月1日 インテリア科・デザイン科廃科(沖縄県立浦添工業高等学校へ)
- 1989年4月1日 電子機械科新設(機械科学年進行で廃科)
- 1990年4月1日 電子科を情報電子科に学科改編
- 1992年4月1日 生活情報科新設
[編集] 設置学科
全日制
- 電子機械科 (80人)
- 情報電子科(80人)
- 建築科 (80人)
- 土木科 (40人)
- 工業化学科 (40人)
- 生活情報科 (40人)
定時制
- 工業技術科(80人)
- 機械加工コース
- 電子電気コース
- 建築施工コース
- 2年次から各コースに分かれる
[編集] アクセス
- 安里駅から徒歩20分
バス
- 工業高校前バス停から徒歩3分
- 松川線3番(那覇バス市内線)
- 識名線5番(那覇バス市内線)