武蔵大学
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武蔵大学(むさしだいがく、英称:Musashi University)は、東京都練馬区豊玉上1-26-1に本部を置く日本の私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は武蔵大。
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[編集] 概観
[編集] 大学全体
東武鉄道の創業者でもある根津嘉一郎によって1922年に設立された旧制七年制高等学校である旧制武蔵高等学校が前身。新制大学として発足する際、旧制高等学校時代の資源を活かせる文理学部を設置する案が有力であったが、戦後日本の経済的復興に資する大学を建設する、という意味で、経済学部の設置が決められ、経済学部単一学部の大学として出発した。現在は3学部2研究科を設置している。
[編集] 教育および研究
[編集] 組織
[編集] 学部
また、2004年よりゼミ対抗研究発表大会を開催!
[編集] 人文学部
人文学部は、設置当初、欧米文化学科(英米文化コース・フランス文化コース・ドイツ文化コース)・日本文化学科・社会学科の3学科であった。のち社会学科が独立してあらたに社会学部となった。また、比較文化学科が設置されていたが、再編の際に吸収され現在の3学科体制となった。
人文学部の初代学部長には当初、哲学者の鬼頭英一の名が挙がっていたが、鬼頭の突然の逝去によって実現しなかった。その後、高津春繁があらたに学部長候補者となり、1968年の人文学部設置と同時に教授・初代学部長として着任した。
人文学部、とくに欧米文化学科と日本文化学科は、「文学科」の枠を超えた「文化学科」構想を実現させるカリキュラムで構成された。「文学」だけではなく、言語を中心に思想や歴史など人文系・社会科学系のカリキュラムを幅広く配置し、文化の総合的・立体的な理解ができるように構成していた。また、学部改変まで設置されていた「共通科目」も「文化学科」構想の試みのひとつであった。3学科それぞれの専門科目の一部を学部共通の「共通科目」として設定し、一般教養科目として位置づけて履修を可能にした。
日本文化学科では、神田秀夫が中心となり、日本をフィールドとした文化学科の構築がすすめられた。神田は1974年、学部の学会紀要である『武蔵大学人文学会雑誌』に「「日本文化学科」管見」を掲載し、独自の文化論を背景にした「文化学科」の試みを報告、大学の学科構成における「文学科」から「文化学科」への流れをおしすすめることを提唱した。また、日本文化学科では、400字詰用紙100枚を規定とする卒業論文を必修とした。演習での論文指導を踏まえ、人文学部で卒論を必修としたのが日本文化学科だけだったことなどもあって、卒論は、日本文化学科のアイデンティティの重要な一部であった。
[編集] 大学院
- 経済学研究科
- 人文科学研究科
[編集] 大学関係者と組織
[編集] 大学関係者一覧
[編集] 施設
[編集] キャンパス
[編集] 対外関係
[編集] 関係校
- 旧制七年制高等学校
[編集] 系列校
- 武蔵中学校・高等学校
- 武蔵中学校・高等学校は同一学校法人の運営する教育機関という関係であり、系列ではあるが附属学校ではない。
[編集] 附属学校
武蔵中学校・高等学校は、武蔵大学の附属学校ではない。
[編集] 公式サイト
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