榊原政岑
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榊原 政岑(さかきばら まさみね)は、江戸時代中期の播磨姫路藩主。
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生誕 | 正徳3年(1713年) | |||
死没 | 寛保2年2月19日(1742年3月25日) | |||
藩 | 播磨姫路藩主 | |||
父母 | 父:榊原勝治(榊原政邦の弟) 養父:榊原政祐 |
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妻 | 正室:松平知清の娘、側室:高尾太夫 | |||
子 | 榊原政永 |
風流大名と呼ばれた。将軍徳川吉宗が出した倹約令を無視して贅を尽くし、奇抜な服装で江戸城大手門を警備し、吉原で派手に遊興にふけり、遂には新吉原の三浦屋の名妓・高尾太夫を1800両で身請けするなど奢侈を好んだ。これは、徳川宗春の乱行同様、享保の改革に対する抵抗と見なされ、吉宗の怒りを買った。
吉宗は寛保元年9月に出府を命じ、政岑の乱行を咎め、近々所替があろうとの内命を与え、隠居、蟄居を命じ、家督は子の政永に継がせたが、越後高田に懲罰的転封を命じた。
なお、姫路藩主時代、長壁神社の祭礼に際して町人に浴衣姿での参加を認めたことが、後の姫路市を代表する祭りの一つ「ゆかた祭り」の起源となっている。
[編集] 年譜
- 1713年(正徳3年):生まれ
- 1731年(享保16年):旗本榊原家相続
- 1732年(享保17年):榊原家相続(10月13日)
- 1741年(寛保元年):蟄居・隠居(10月13日)
- 1743年(寛保3年):死去、享年31