柳田聖山
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柳田 聖山(やなぎだ せいざん、旧姓:横井(よこい)、1922年 - 2006年11月8日)は日本の中国禅宗史研究の第一人者。
1922年に滋賀県愛知郡稲枝村(現在の彦根市)の延寿寺に生まれる。
臨済学院専門学校(現在の花園大学)、大谷大学、京都大学に学び、久松真一に師事してFAS禅運動に共鳴。中国禅宗史研究に於いて批判的資料研究を進め、資料が史実ではなく、その時代の要請によって製作された事を見抜いた。また、博覧強記な事で知られ、不勉強な後輩を一言の下に教化し、大正大学の関口眞大と共に「東の関口、西の柳田」と称された。
花園大学、京都大学、中部大学の教員を歴任し、1991年には紫綬褒章、1996年には勲三等瑞宝章を受章した。
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[編集] 略歴
- 1922年 滋賀県稲枝村(彦根市)にて誕生
- 1940年 滋賀県立彦根中学校を卒業
- 1942年 臨済学院専門学校(現在の花園大学)を卒業、永源寺僧堂で修行
- 1948年 大谷大学を卒業、京都大学文学部聴講生となる
- 1949年 花園大学仏教学部の助手に就任
- 1950年 講師に昇格
- 1954年 助教授に昇格、柳田姓に改姓
- 1960年 教授に昇格
- 1968年 文学部長に昇格
- 1976年 京都大学人文科学研究所教授に就任
- 1985年 人文科学研究所所長に就任
- 1986年 所長を定年退官、京都大学名誉教授、中部大学教授に就任
- 1988年 花園大学文学部教授、国際禅学研究所所長に就任
- 1989年 蔵書14,000冊を禅学研究所へ寄贈、柳田文庫となる
- 1990年 峨眉山に良寛詩碑を建立
- 1992年 市民団体である環境市民の共同代表となる
- 1993年 自宅を禅学研究所へ寄贈、柴門館となる
- 1996年 所長を退任、終身研究所員となる
[編集] 受賞暦
[編集] 著作リスト
- 初期禅宗史書の研究(法蔵館、1967年)
- 臨済ノート(春秋社、1971年)
- 禅語録(<世界の名著>3、中央公論社、1974年)
- 禅の山河(日本放送出版協会、1975年)
- 一休‐「狂雲集」の世界‐(人文書院、1980年)
- 純禅の時代‐祖堂集ものがたり‐(禅文化研究所、1984年)
- 禅と日本文化(<講談社学術文庫>、講談社、1985年)
論文
- 祖堂集の資料価値(『禅学研究』44号、1953年)
- 灯史の系譜(『日本仏教学会年報』19号、1954年)
- 馬祖禅の諸問題(『印度学仏教学研究』17-1号、1968年)
その他
- 柳田聖山集 1 - 6(法蔵館、1999年 - )
- 柳田聖山先生著作目録(『花園大学研究紀要』8号、花園大学、1977年)
- 柳田聖山教授喜寿記念論集(『禅文化研究所紀要』24号、1998年)