柄井川柳
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柄井川柳(からい せんりゅう、享保3年(1718年) - 寛政2年9月23日(1790年10月30日))は、江戸時代中期の前句付の点者。名は正道。通称は八右衛門。江戸浅草新堀端の竜宝寺門前の名主(なぬし)。
はじめは談林派俳諧の点者であったといわれるが定かではない。1757年(宝暦7年)8月25日、前句付の点者として無名庵川柳と号し、最初の万句合を興行している。これ以降、月3回5のつく日に句合を興行している。1762年10月15日の句合には総句1万句を超し、そのはやりぶりがうかがえる。川柳(八右衛門)の出題は前句付の14字題と冠付のみであり、総句高に対する番勝句の比率も高い。新しい趣向を好み、選句眼にも優れていたことが、上級武士も含め江戸における前句付作者にこのまれた。1765年(明和2年)7月に刊行された「誹風柳多留」は、川柳評前句付の流行に拍車をかけた。後、前付句が独立して川柳と呼ばれるようになった。なお、川柳の号は15世(脇屋川柳)まで受け継がれている。
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