林忠旭
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林 忠旭(はやし ただあきら、文化2年(1805年) - 慶応3年10月20日(1867年11月15日))は、上総貝淵藩の第2代藩主。上総請西藩の初代藩主。父は貝淵藩初代藩主の林忠英。官位は従五位下。播磨守。六男に「最後の藩主」として有名な林忠崇がいる。
1805年2月生まれ。父の忠英は徳川家斉のもとで権勢を振るっていたが、1841年に家斉が死去すると権勢を失い、水野忠邦や徳川家慶らの粛清を受けて強制隠居処分とされたため、後を継ぐこととなったのである。
1850年11月、忠旭は陣屋を上総国望陀郡請西村に移し、以後は請西藩主となる。1853年のペリー来航では海岸警備などを務めた。1854年4月27日、養嗣子の林忠交に家督を譲って隠居し、1867年10月20日に63歳で死去した。墓所:東京都港区愛宕の青松寺。